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その微笑みの下に

 

 

 

 

 

 

二限目の終了を知らせる鐘の音が響く。

同時に賑やかになった3-2の教室では、次の移動教室に向けて皆が準備を始めていた。
白石が机の上に教科書を取り出そうとした瞬間、声をかけてきたのは前の席に座っている謙也。


「白石、ほな俺は先に移動しとるわ」

「相変わらず忙しいやっちゃなぁ。そない急がんと一緒に移動しようや」

「アホ抜かせ、んなことして一番乗り逃したらどないするんや」

「別にどーもせぇへんやろ」

「するわ!浪速のスピードスターの名が廃るっちゅー話や!!」


そう高らかに宣言したが早いか、既に白石の視界に謙也の姿は無かった。
教室にいる生徒の数も少しずつ減ってきてはいたが、謙也ならば問題なく一番乗りを果たすことだろう。

白石は揃え終わった教科書類を手に持つと、教室の外へと出た。


移動先は専門教室が立ち並ぶ階で、各教室がある階よりもぐっと人気は少なくなる。
白石がその階へと足を踏み入れた時、前方になにやら不自然な動きをする巨体を発見した。

この学校において、あそこまでの長身は二人しか検討がつかない。
一人は頭を丸めた巨漢。

しかし前方をふらふら歩いている長身は、その頭部に優しく風になびく天然パーマを有していた。

となれば浮かぶ名前は一つしかない。


「・・・千歳?」


名を呼ばれた男は声に気付いたのか、キョロキョロとあたりを見回している。

・・・そこまで距離は無いのだが。

不審に思いつつも、白石が回りこむようにして千歳の前に立つと、そこでようやく此方の姿を確認したようだった。


「おお、白石。奇遇やね」

「・・・おん」


自分の姿をその目に捉え、千歳は嬉しそうに微笑んでくる。
愛らしい笑顔に胸を躍らせつつも、白石の脳内は冷静に思考を巡らせていた。

確かに、千歳の右目は人よりも視力が落ちている。
だが動いているものならば認識出来たはずだと記憶しているが。

千歳が見せた異様な反応の鈍さを勘ぐっていると、今度は千歳が怪訝そうな顔を見せた。


「俺の顔に、なんぞついとると?」

「あぁ、いや、大丈夫や。すまんな」


言われて、自分がしばらくの間彼の顔をじっと見つめていた事に気付いた。
千歳で無くとも不振がられるだろう。
むしろ千歳が不振がる事のほうが遥かに珍しいかもしれない。

白石は一度咳払いをして雰囲気をリセットしてから、軽く謝って話題を変えた。


「千歳んとこは移動教室とちゃうやろ?何しとんのや、こないなとこで」

「ん、さっき学校に来たところばい。授業終わるまで散歩しとったと」

「同じテニス部の中にどこまでも素早い奴と、どこまでものんびりな奴の二人が見事に揃っとるんも、おもろい話やな」

「謙也と俺んこつたい!」


白石が口にした比喩の意味を理解した千歳は、さも嬉しそうに微笑んで喜んだ。
整った口元が緩みそうになるのを、必死に堪える。

褒められたととったのか。
それともあの誰が聞いても丸分かりな比喩の意味を理解出来たからなのか。

いずれにしてもその表情はあまりにも無邪気で愛らしく、白石は堪らずに心中であの口癖を叫んだ。
とそのとき、白石はある事に気付く。


「ん?千歳・・・肩汚れてんで」


白石の視界に入った、千歳の右肩に付着している汚れ。
自分よりも高い位置にあるそれを手で掃ってやると、まだ少し汚れは残っているが目立たなくなった。


「あぁ、悪かね」

「なんやぶつけたんか?」

「ん。外見とったら、出っぱりにぶつかったとよ。危なかねぇ」

「危ないのはお前の方や。歩いとる時くらいはシャキっと前向いとかなあかんで」


呆れたと顔を顰めて注意をすれば、千歳は苦笑して頭を掻いた。
・・・どうせ聞く耳など持っていないのだろう。


「千歳、そろそろ行かな三限目にも間に合わんで」

「ん~・・・」


この顔は。
このまま放置すれば、まず間違いなく彼はその足を裏山の方へ向けるだろう。
そんな訳にはいかない。
そろそろ無理やりにでも出席させねば、例え義務教育と言えども限度がある。


「千歳」

「ん?なんね」

「教室、行くやろ?」

「う・・・」


拒否権など与えない剣幕で言ってやれば、それでも渋るように眉を寄せる。
こんなにも図体のでかい駄々っ子など見た事が無い。


「行かんのやったら、俺が教室まで連れてったる」

「い、いや、そげんこつ・・・悪かよ」

「気にせんでえぇ。本望や」


自分も授業に間に合わなくなる可能性はあるが、これならば正当な言い訳になる。
千歳の出席率は、教師陣の間でも頭を抱えている問題なのだから。
先生達も困らず、自分自身も千歳を教室まで送り届けるなんていう夢のような体験が出来るのだ。


一切の無駄も無い、完璧な提案。


本日二度目の口癖を脳内再生したところで、ようやくあることに気付いた。
先ほどまですぐ近くにあった、愛らしい存在の姿が見えない。

・・・しまった。


「俺を放置するやなんて・・・大した奴やでほんま」


白石は千歳と恋人気分になれる絶好のチャンスをとり逃し、ガックリと肩を落とした。
その脳内からは先ほど感じた違和感など当の昔に消え去っていて。

白石はチャイムが響く一分前に無事移動先の教室に到着し、無駄なく着席した。

 

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