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「ん~~・・・なんやもう・・・」


チュンチュンと雀の囀る音。

朝が来たのだ。

白石はゆっくりと寝返りをうつ。

今日は確か朝練もなかったはずだし、体感時間的にはまだもう少し寝ていられる。

だが、なんだかおかしい。

何かに違和感を感じる。


例えば、首にかかる自分の髪の毛。

愛用している枕とは違う感覚。

布団に包まっているにも関らずなんだかスースーと涼やかな足元。



「なんやねんもう・・・まだ夢なん・・・」


たまらずうっすらと目を開けたとき、最大級の違和感を明確に察知した。


「な、なんやこれ、目が・・・」


ごっそりと消えている右目の視界。
まるで視界を黒い枠で丸く抉りとられたかのように欠けており、光が見えている部分もまるでピントが合っていない。

思わずかざした掌すらも、左目でしか確認することが出来ず、寝起きの頭を更に混乱させる。
だが、それだけでは終わらなかった。


「・・・・!!??」


手。
手だ。
手が見える。

だが、俺の手じゃない。
いつもより大きく、いつもより褐色で、しかし何故か、見覚えのある・・・


「!!??」


そこまで思考が追いついた瞬間、がばっと体を起こす。
そして頭部に手をやると、もさもさとした髪質が感じられた。
これも、非常に記憶に新しい髪質。
だが決して自分のものではない。
むしろ、愛しくて愛しくてたまらない、自分の恋人の・・・


そこまで思い至り周囲をかぶり見る。
と、やはり見覚えのある部屋だ。
しかし自分は夕べ、確かに自室で就寝したはずだ。
なのに、なぜ、此処に。

そしてこの視界と、この髪と、手。

勢いよく立ち上がった白石は、記憶にしっかりと刻まれているこの部屋の手洗い場へと向かう。
そこにある、姿見を確認する為に。

が。


「ッテ!!!!!」

勢いよくぶつけた右肩。

どうやら柱にぶつけたらしい。
見えなかった。
この欠けた視界のせいで、気づかなかったのだ。

舌打ちを心の中でひとつ打つと、白石は遠近感の掴めない曖昧な視界に頭痛を覚えながらようやく鏡の前にたどり着く。

そこに、映し出されたのは。


「・・・ち、千歳・・・」


自分が愛してやまない、恋人の、姿。



と、居間のほうから鈍い振動音が聞こえる。
何かと覗けば、音の発信源は机の上に乱雑に置かれた震える携帯からのようであった。

ごくりと一度生唾を飲み込んでから、千歳、の体を持つ白石がその携帯に手を伸ばす。

今、おそらく自分は千歳だ。
千歳の体を持つ白石蔵ノ介だ。

だから、きっと、この携帯を手に取ることに問題はない・・・はずである。

と自分を無理やり納得させてそっと携帯を手に取り画面を見る、とそこには・・・


”着信 白石”


「お、俺・・・!!??」


な、なんやこの状況。
千歳になってる俺に、俺から電話きとる。

更に混乱を極めた白石の脳内であったが、ふと一部が冷静になる。

自分がこの身体になっとるって事は・・・千歳の意識はどないなっとんや・・・?

そこに来て、もう一度震える携帯を見つめる。
だとすれば・・・この電話の主は・・・


思考がたどりつき、白石はゆっくりと通話ボタンを押し耳に当てた。


「も、もしもし・・・?」


慎重に、口を開く。
すると、通話口を通して耳に流れ込んで来たのは、確かに自分の声。
自分の声、だったのだが。


『し、しらいし!?白石とや!俺ばい!!』


自分の声が紡ぐ、大阪とはまた違った方言。


「ち、千歳?」

『!・・・白石、やっぱり白石が今、俺の身体に入っとっとや?』

「てことは、千歳は俺の身体に?」

『そうばい、たいぎゃ朝日のまぶしかこつにたまがって・・・そしたら・・・』


朝日が、眩しい事に驚いて。

自分の声でそう紡いだ千歳の言葉に、ふと気付く。
それはそうだろう。
普段、こんなにも暗い世界を見ていたのなら。
こんなにも暗く、こんなにも狭い世界を見ていたのなら、両目とも視力1.5の自分の身体で目覚めれば眩しいはずだ。

もう大丈夫だと、ちゃんと見えてると、笑っていたのに。

そんなの嘘だろうとは察していた。
・・・しかし、まさかこんなにも欠けた世界を見ていたとは思わなかったが。


『・・・白石?』


電話の向こうで千歳が怪訝そうに聞いてくる。
しまった、つい考え込んでしまっていた。
慌てて相槌を打つと、千歳は少し心配そうな声音になって続けた。


『頭痛ば、しちょらんと・・・?』

「え?」

『あぁ、いや・・・俺ん身体に入っちょるなら、もしかしたらと・・・』


確かに、鏡を見に行った時辺りから軽い頭痛はしていた。
鈍痛とでもいうような、本当に小さな痛み。
しかし、何故気付かれたのだろう。


「なんで分かったん?」

『・・・そん目に慣れとらんうちは、多分三半規管ば狂って気持ち悪なったり、頭痛ばしよるかもしれんけ、気をつけなっせ』


それはとても慣れた、まるで体感しているかのような口ぶりで・・・。

・・・いや、体感していたのだろう。
千歳が怪我を負ったというその日から、昨夜までの間におそらく何度も、何度も。


「・・・おん、分かった。気ぃつけとくわ」

『そげんこつより、こん事態は一体なんね?』

「俺も分からん、今目覚めたばっかやしな・・・」

『白石の家族にはどげんしたら・・・』

「あぁ、とりあえず今朝だけはなんとか大阪弁つこて逃げぇ。今日からオトンら一週間俺置いて海外旅行やねん」


なんと都合のいい話だ。
部活を理由に旅行の件を断っておいてよかったと心から安堵した。


『ま、まぁ、なんとかするばってん・・・』

「問題は学校やな・・・」


白石は正直なところ、千歳のフリをやり通す自身はある。
それほど自分は千歳を見続けていた。
変な話千歳の身体であれば学校にいかずこのまま部屋に閉じこもっていても、学校からしてみれば至って普通なのだ。
だが俺の身体である千歳はそうはいかない。
俺は絶対に何も無ければ出席をする。

あぁ見えて意外と千歳は責任感が強い。
こと、自分ではなく他人が関わることに対しては。
だとすれば、白石のことを考えて少なくとも今日だけはきちんと学校へ行こうとするだろう。

だが問題はその方言だ。
この大阪の地に来ても一切流されること無く、転校してきた当時と全く変わらないほど染み付いた九州弁を完全に消すことはまず不可能だろう。

こんなことなら日頃から九州弁を小出しにしておくんだった。


「しゃあない、千歳、今日は学校休みや」

『え、ばってん・・・』

「とりあえずオカンらの前では学校行くって家出て、そんまま此処に帰ってくるんや。俺がそばにおったら正しい大阪弁教えたるからそれで学校に電話する」

『わかったばい・・』

「あ、千歳。まさかとは思うが普段お前サボるときなんか学校に電話してんの?」

『んや、なーんも』

「あ、そ。まぁええわ、ほなまっとるからはよ来ぃや」

『ん、白石も家んなかで怪我せんごつ』

「あぁ、そない動き回らんようにしとくわ」


そういって電話を切るが、果たして千歳は無事に白石家を脱出できるのであろうか。
大いに心配ではあるが、ここは愛する恋人を信じるしかない。
そう割り切り、白石は再び布団へと身体を横たえた。
欠けた視界で天井を見る。

この事態は確かに問題だ。
直ぐに戻るのか、はたまたずっとこのままなのか。
めぐるどうにもならない不安をひとまず飲み込み、白石は一度欠けた視界を遮断するかのように目を閉じた。

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