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名も無き少年

 

 

 

 

 

 


振りかざされる刃。
振り上げられる拳。
叩きつけられる殺意。

悪意に満ち満ちた暴行から、泥にまみれた名も無き少年は、ただ逃げた。

目的地など有りはしない。
帰る場所など存在しない。
助けを求める言葉を持たない。
そもそも救いという存在そのものすら
この幼い少年は知らない。


ただ痛いから。
苦しいから。
怖いから。


それが与えられない方法が、『逃げる』という事だけ。

その事さえ分かっていれば十分だった。


「鬼が・・・何処に隠れた!」

「よく探せばすぐ見つかるさ、あんな銀色目立って仕方が無い」

「あの紅眼で見られたわ・・・!呪われてしまう・・!」

「大丈夫さ。その呪いの元凶さえ殺しちまえば済む話だ」


鬱蒼と生い茂る木々の中。
光る銀髪を大きめの葉で覆い隠し息を潜めた。
直ぐ傍で交わされる会話は悪意に満ちて。

言葉を知らないこの少年にも、それが自分への罵りであることは理解していた。
ここ数年、言葉を浴びせられて覚えた事がある。

自分は鬼と呼ばれていること。
その『鬼』というものが、とても恐ろしい存在であるということ。


気付いたときには『恐怖』が生まれた。


痛みへの恐怖。
本能で知った死への恐怖。
見つかったら、死ぬ。


”生きる意味”


少年にとってそれはただ一つ。


”死にたくない”


未来に希望が有る訳でもない。
ただ、死=楽という概念自体が無いだけ。

足音を立てずにゆっくり森の奥へと進むと、予想もしなかった光景が視界に入った。


「・・!?」


そこには、大量に転がる侍たちの屍。
戦時中のこの国においてそれらは見慣れたものではあったものの、小さな少年にはそれはそれは衝撃的な光景だった。

なぜなら。

それは自分の行き着く先の、リアルな未来だったから。




 

少年は光り輝く銀髪を隠すことも忘れて、近くに転がっていた屍の手から刀を拾い上げる。
それはまだ真新しい鮮血を滴らせていて、よく見れば似たような紅が侍達の腹部から内臓と共に流出していた。


集団自決。


少年が額から冷や汗を流し、ゴクリと生唾を飲み込んだとき、背後から奇声が飛んだ。


「きゃあああああ!!」


驚いて振り向くと、先程自分を追っていた大人たちが、その顔を恐怖に引きつらせて自分を見ていた。


「お・・・鬼が・・・コイツ、人間を殺しやがった!!!」

「こんなもの、早く始末しないと俺達がやられる・・・!!」


今此処に『鬼』が居て。
その手に凶器を持っていて。
目の前に地獄絵図が広がっている。
それだけで、彼等には十分だった。
死因は関係無い。
元凶は間違いなく、この鬼なのだから、と。


違う。


しかし否定の言葉を持たない少年は、ただその顔を恐怖に染めて震えた。


「殺せぇえええ!!!」

「俺達の為に、鬼は地獄へ帰れ!!!」


振り上げられる刀。
逃げられない。
そう思ったとき、考えるより先に腕が動いた。
その手には血に濡れた刃。

それは真っ直ぐに、自分の目の前に居る人間の腹部を

刺し貫いた。


「ひ・・・っ!!」


腹部から血を流出させた人間は暫くの間もがいた末、その場に倒れて痙攣を起こし、やがて動かなくなった。

僅かな沈黙の後、気を狂わせたかのように喚き始めた大人たちは、訳の分からない奇声を上げて自分の前から逃げていった。


刀を伝って自分の手を染め上げる紅。
それは水面を通じて見た自分の眼と同じ色をしていて。

彼等が自分を嫌う理由が、ほんの少しだけ分かった気がした。


それから少年はその刀を抱えて逃げ歩き、やむを得ない時には生きるために刀を振るった。
その手を血で染め上げる度、小さな身体の中には死への恐怖が増大していく。


殺さないで


そう泣き叫びながら屍を産んでいく少年は、その心を少しずつ壊していった。




それからしばらくしての事。
その日も少年は大人たちに追われ、暴行を加えられ逃げていた時だった。

転がっていた石に躓き体制を崩した少年は、追いついた大人たちによって腹を蹴られ顔を殴られた。

刀を抜く暇も与えられないほど殴られ、その脳内を白く染め始めたとき。
自分の周りにいる大人達よりも、うんと幼い声が響いた。


「やめろ!!!」


声と共に暴力が止む。
何事かと声のした方に眼を向けると、そこには一人の少年と青年が立っていた。


「貴様・・・吉田松陽か・・・!」

「よってたかって小さな子供に暴力を振るうとは、見過ごせませんね」

「子供ではない、コイツは鬼だ!!鬼を始末して何が悪い!!」


自分の頭上で交わされる会話に呆然としていると、不意に身体に触れられた。


「!!??」

「おい、こっち来い!!」


少年は自分と同じくらいの背丈で、その顔は不機嫌そうに歪んでいた。

訳が分からない。

少年は混乱して身を引いた。


「や・・・やだ・・・!」

「っおい!」

「やだ!!殺さないで!!!」


完全に混乱状態になった少年に、紫がかった髪の少年が驚いていると、上から暴言が飛んできた。


「何をしている!!鬼を匿う気か!!」

「鬼は殺さねばならない、邪魔立てするなら貴様等も斬る!!」

「・・・!!!」


咄嗟に銀色を庇ったのは、その手を引いていた少年。
その頭上に迫っていた刃は、不機嫌な少年の予想通り別の刃を持って防がれた。


「・・・殺さないでと泣き叫ぶ子供と、それを斬らんと刃を振りかざす大人。・・・鬼はどちらですか」

「なんだと・・・!おのれ松陽・・・!そこをどけ!!」

「貴方がその刃を納めてくださるなら」

「貴様・・・!」

「願わくばこの護る為の刃、血に染めたくはありません」

「・・・ちっ・・・!!」


舌打をして刃を鞘に収めた男は、忌々しげに松陽を見て吐き捨てた。


「鬼を庇うなど・・・!貴様はいずれ必ず、災いをもって不幸になるぞ!!」

「小さな命を護って受ける災いならば、喜んで引き受けましょう」


もう一度舌打をして、男は他の者達を引き連れてこの場を去っていった。






「先生!!」

「晋助、大丈夫でしたか?」

「はい。・・・こいつも」


視線を合わせて問いかけると、晋助と呼ばれた少年は頷いてから、自分の背後で震える少年に目を向けた。

少年は状況が一切把握出来ずに眼を泳がせていると、不意に頭に何かが触れた。


「!?」

「大丈夫ですよ」

「!!」


驚いて逃げようとした少年にかけられた言葉。

言葉など知らない筈なのに、どこか安心する慣れない言葉。

暴力が振ってこない、不思議な言葉。


「もう大丈夫です。怯えなくともよいのですよ」

「・・・!」


目の前で優しく微笑む男。
撫でられる頭は、晋助に握られた手と同じように暖かかった。

ずっと望んでいた温もり。

それを与えられた今、少年はただただ動揺しながらもそれを失いたくなくて。
強く握ってくる自分と同じくらいの大きさの手を、震えながらもほんの少しだけ握り返した。




松陽に連れられ山奥の屋敷に入ると、黒髪の少年が自分の怪我を手際よく手当てしてくれた。

先程の晋助と呼ばれていた少年はといえば、あの場所から今に至るまで、不機嫌そうな顔をしながらも手を繋ぎ続けている。

当の自分はといえば、まだ状況が理解できず。
またここでも痛い事をされるのではと不安を残したまま、小さく震え続けていた。


「此処に、貴方を傷つけるような者は居ません」

「!」


優しい笑顔で紡がれた言葉。
どうしたらいいのかと視線を彷徨わせると、先程の黒髪の少年がニコリと微笑んだ。


「傷なら、俺が手当てしてやる」


そう言って再び傷の手当てをしてくれる。
反対の手を握る少年に眼を向けると、一瞬眼があったそれを直ぐに逸らされた。
しかし、手はそのままで。


「・・・おめぇなんかいじめたって、楽しくもなんともねぇ」


ぎゅっと握られた手は、強すぎず弱すぎず。
絶えず温もりを与え続けてくれるその手に、少年は若干の安心感を覚えた。


「私は吉田松陽。ほら、自己紹介をなさい」

「俺は桂小太郎だ。よろしく頼む」

「・・・高杉晋助」


名乗られたのは、恐らく彼等の名前。
名とは呼ぶために存在する。

彼等は、自分にその名を呼ぶ権利を与えてくれた。

そんな経験が初めてである少年は、ただただ目を泳がせて困り果てる。
全てが初めての経験で、何がなんだか分からない。

ただ一つ言える事は、自分に名乗る名が無いという事。



「貴方の、お名前は?」

「・・・」


心底困り果てた少年が、俯きながら考え出した答え。

・・・それは。


「・・・・おに」

「え?」


今、何と?

驚いて思わず聞き返してしまった松陽に向かって、俯いたままの少年はもう一度。

小さく”名前”を呟いた。


「・・・・おに。みんな、そうよぶ」

「・・・!!」


今度はハッキリと聞こえたその言葉に、松陽は眉根を寄せて言葉を飲み込んだ。
少年達ですら、その顔を歪める。

自分の名を鬼と。

そう答えるこの少年が生きてきたこの僅か数年余り。

その何倍も生きているであろう自分ですら、その生きた道は想像を絶するものであったのであろう。

色んな言葉を飲み込んで。

その顔には出来うる限りの微笑みを乗せて。
松陽はその銀色に輝く髪を撫でた。


「貴方は、鬼ではありません。・・・小さくも美しい心を持った、優しい人の子です」

「・・・!!」


初めて言われた。

自分は鬼ではないと。

人だと。

ただただ驚いて。
その大きな透き通る紅い瞳を、丸くして見つめた。


「そうですね・・・”銀時”はどうでしょう」

「?」


新しい単語に首を傾げるも、両隣に居た少年たちはうんうんと頷いている。


「良い名前だと思います。なぁ?晋助」

「・・・まぁ、呼びやすい」

「貴方は、どうですか?」


問いかけられて、再び困り果てる。
どう、と言われても。
おどおどと眼を泳がせていると、晋助が不機嫌そうに自分を見て言った。


「お前の名前だ。良いのか悪いのか答えろよ」


名前。
名前?
自分の、名前。
呼ばれるべき、名前。
呼んでくれるの?


・・・こんな自分を?


”罵る”のではなく。
”呼んで”くれるのならば。

それは、自分が心から欲したもの。
”銀時”は、小さくもしっかりと頷いた。


「では、決まりですね。・・・銀時、今日から貴方は、私の息子です」

「むすこ・・・?」

「”家族”という意味ですよ、銀時」


初めての事が多すぎで、訳が分からなかった。

それでも少しだけ分かった事がある。
それは人というのがこんなにも温かく、優しい存在だったのだという事。


生まれて始めて触れた人の温もりに、少年ただ十分過ぎる程の幸せを感じていた。





 

 

 

 

 

 

 

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