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第九幕

 

 

 

 

 

 

 

失った記憶。
繋がらない記憶。


気にならないと言えば嘘になる。


曖昧に張り合わされたような記憶はあまりにも不安定で。
自分という個を主張する為の情報とするには不足過ぎた。


それでもそれらに触れようとすれば、自分を見る彼等が困ったように口を閉ざす。
何よりも、自分自身が無意識的にそれを拒絶していた。


まるで、「興味が無い」と諦めているようなフリをして。

俺は曖昧な記憶から逃げ出した。


「ガラにも無く考え事か?」


不意に背後からかけられた声に振り向くと、紫煙を漂わせた隻眼の男が此方を見ていた。
ここは坂本が所有する船の中にある、展望台のような場所。

宇宙に飛び立った事で、この場所からは眩しい程の星達が目前で輝いていた。


「あぁ。空の上も意外と明るくて、暗ぇんだなってよ」

「訳わかんねぇとこは相変わらずだな」

「おめぇにだけは言われたくねぇ」


会話は交わしながらも、その眼は流れ行く星達を追っている。

元々無気力な男ではあったが、これほどまでではなかった。

思慮深げに眼を細めたとき、星を見ていた銀時がふと口を開いた。


「・・・俺の刀」

「あ?」

「手入れサンキュ」


抱えていた刀をコンコンと示しながら、珍しく礼を言われる。

再び大切そうに抱き抱えられた刀を見れば、それが銀時にとっていかに思い入れが強いかが伝わってくる。




「そんなガキみてぇに抱き込む程大事なら、テメェでやれ」

「同じ事ヅラにも言われたんですけど」

「ぁあ?・・・胸糞ワリィ・・・」


眉間に皴を寄せて煙管に口をつけた高杉は、何を考えてるか分からない表情で星の海を眺め続ける銀時に問いかけた。


「そんなに面白ぇか」

「あ?・・・別に。いっつもお月さんと並んでた星が今目前にあるって思うと、なんとも不思議でよ」

「あくまでおめぇは土の上を這いずりてぇか」

「さてね。居心地悪ぃのは空も地上もかわらねぇんじゃねぇの」


頬杖をついて無気力に答えられたその言葉の真意を、高杉は掴みかねる。

地上である江戸で起こっている現状。

銀時の知る世界と現実の世界では大きく相違が生じているはずだ。
銀時がその複雑な脳内に何を思い浮かべてそう言っているのか。

知りたくとも問いかける訳には行かないのが現実で。


「空も悪くねぇもんだぜ。地面に食い込む重力も無きゃ、ギャーギャーウルセェ幕臣もいやしねぇ」

「変わりにあるのは気味の悪ぃ浮遊感と、何もかも飲み込みそうな黒だけか」

「おめぇ本当は空嫌いだろ」


茶化すように口を開いてはみたが、あながち間違いでもなかったのか、銀時はただ沈黙を持ってそれへの答えとした。


「俺ぁあの泥沼の血生臭ぇ世界に生まれたんだ。なら、そこが俺の生きる場所なんだろ」

「つくづく変わりもんだなおめぇは」


隣に並んで眺める宇宙はなんとも気味が悪い。

過去幾度か空に出た事はあるが、こんな気分でこの星達を見るのは初めてだった。

高杉は人に流されるような男ではない。
しかし何故か銀時だけは、それをさせる存在だった。


「なぁ高杉」

「あ?」





問いかけられて隣を見るが、依然として視界が絡むことは無い。
だが問いかけは続けられる。


「おめぇのその眼」

「・・・?」

「そいつを見ると・・・心臓の辺りがざわつきやがる」

「・・・」


銀時は左胸辺りを鷲掴んで俯く。
高杉は目を細めてそれを見ていたが、気にしないフリをして返した。


「おめぇが人の怪我に興味深々とはな。特異な事もあるもんだ」

「誰にやられた」


銀時が目覚めたあの日にも問われた質問。
眉を潜めて銀時を見つめる。
言葉を選ぶ。

冷静に。
必死に。


そして。


「おめぇが知ったところで、コイツが直るわけでもあるめぇ」

「・・・違ぇねぇ」


静かに返された返事。
と同時に銀時から与えられたのは、酷く哀しそうな、寂しそうな、なんとも言えない儚い表情だった。


「ただ」

「?」


「なんでだろうな。・・・その眼を見るたび、ただ”悪ぃ”って言葉しか、出てこねぇんだよな」

「・・・!!」


銀時の失った記憶。
その記憶の中には高杉にとって、忘れて欲しかった物も混ざっていた。


もう二度と、思い出して欲しくないとすら思った。


それが今、よりにもよってその記憶だけが蘇りかけている。
高杉は唇を噛み締めて、銀時の頭を抱き寄せるように片手で包んだ。


「おめぇが詫びる事なんざ、俺の酒を横取りした事くれぇだ」

「あ、マジで?煙管盗み出して売り飛ばした事は許してくれんだな?」

「詫びる事が一つ増えたな。今すぐ此処で土下座しろ」


小さく笑いあいながら刻む時間。

どうか。
どうか。


もう二度と、この笑顔が崩れる事の無いように。



思い出して。

思い出さないで。






君の幸せだけを、ただ願う。







 

 

 

 

 

先に部屋へ戻った高杉を見送って、一人星の光でのみ視界を保てる展望台にたたずむ。
高杉の眼を見たとき、強烈なまでの罪悪感と共に、密かな声が聞こえた気がした。


あの声は誰?


知っている気がする。
知らないはずが無い気がする。


なのに。


どうしても思い出せない。
それでも声は語りかけてくる。


喜んでいるのか。
怒っているのか。
哀しそうなのか。
楽しそうなのか。


それすらも分からない。


誰とも何とも分からない声は、次第に脳を満たしていく。
それは冷え切った水のように。
ひたひたと心を満たしていく。

薄れていく視界。
消えていく思考。

最後に見えたのは、誰よりも優しく愛しそうに自分を包む、見覚えのある紅い瞳だった。










「銀時はどうじゃ」

「ぼーっと外眺めていやがる。やっぱり地上がお好みみてぇだな」

「それはそうだろう。坂本が上に上がるときですら奴は拒んでいたからな」


流石は社長。
他の部屋よりも若干広く取ってある坂本の部屋で、三人はテーブルを囲むように顔を俯けていた。

坂本はどっしりとかけていたソファーをいじりながら、顔を顰める。


「こりゃ金時が平常に戻っても、連れだすんは難しいがか」

「何を言っている。銀時は地上から動く事は無い。江戸の夜明けを見るまではな」


正面で腕を組んでいた桂は、顔をムッとさせて言い返す。
しかし一切気に留めていないのか、坂本は相変わらず唸っていた。

室外へと通じる扉にもたれかかり煙管を吹かしていた高杉は、そんなやりとりを面倒くさそうに眺めていた。


「くだらねぇ。奴は奴のやりたいようにしか・・・っ!?」


そこで、高杉は背筋を駆け上る冷たい何かを感じた。

全身の産毛が逆立つ。
無意識に冷や汗が滴る。
背後に忍び寄る何か。

高杉は考えずともそれを理解した。

咄嗟に煙管の火を消して扉から飛び退いたその瞬間。

高杉が先程までもたれていた扉に、銀色に輝く刃が勢いよく突き生えた。


「!?」


何事かと驚いて坂本と桂が立ち上がり扉に眼を向けると、その扉に生えていた刀が抜き取られ、ゆっくりと開いた。


「銀時を一人にするなんて・・・薄情な”親友”達だな」





ゆっくりと室内に姿を現した銀色は、静かに細められた瞳を向ける。
桂と高杉が息を呑む中、坂本は瞳を剣呑な色に染めて銀色を凝視した。


手に持つ刀は磨き上げられ銀色の光を放っている。
身にまとう衣類も白く、一転の濁りも無い。

そう、見受けられる赤は細められた瞳の中に潜む、あの赤だけだ。


大丈夫。
船員はまだ全員無事である筈だ。
坂本は一瞬でそれを判断し、同時に彼をここから出してはならないと悟った。

そう。

全員が無事なのは、”まだ”なのだから。


「晋助」

「・・・っ」


室内に足を踏み入れた銀色は、飛び退いた事で桂の隣に立つ高杉の前へと歩み寄った。

その隙に坂本は出入り口を封鎖するかのように扉の前に立つ。

その眼にいつものとぼけた色は無い。
剣呑な瞳は銀髪を射抜き、一瞬の挙動も見逃さないとでも言うように神経を張り巡らせた。


「銀時を”護る”算段は話し合えたか・・・?」

「何の話だァ?」

「こんな空にまで飛び出して。あのまま狗に会わせれば良かったのに」


音も無く笑う姿は美しいのに不気味で、背中に流れる冷や汗を止める事が出来ない。


「銀時があの狗の事をもう一度思い出せば・・・きっと俺にすがって来るさ。もうこんな世界は嫌だとね」

「・・・!」


待ち遠しいと言わんばかりに左胸に手を添える銀色の姿を、高杉は眉を顰めて見つめた。


「・・・おめぇの目的は、徹底的に銀時を痛めつける事でしか成せねぇか?」

「銀時が俺を見ようとしないなら、一瞬の痛みは仕方が無いさ」

「自分の為なら、銀時がどうなろうと知ったこっちゃねぇってか?」

「まだ理解してなかったのか・・・?これは俺の望みであり、銀時を護る為でもある」

「なら行動が矛盾してるぜェ?おめぇのしている事は・・・」


しかし銀色は一貫して笑みを崩そうとはしない。
何を今更、とでも言いたげに高杉を見ている。


「矛盾?違うね。・・・俺は銀時を護る為に、銀時を壊すんだ」


一体何を言っている?
理解が出来ないのは他の二人も同じであるようで、高杉は話しを促すように銀色を見つめた。


「そうだな・・・例えばだ。仮に虫歯が出来たとしよう。患者は更に悪化する事を防ぐ為に、それ以上の一瞬の痛みに耐えてでも治療するはずだ」


それと似たような物だよ。

そう言って銀色は静かに目を閉じた。
まるで心の中で眠る存在に目を向けるように。


「一瞬の痛みよりも、長く続く平穏の方がきっと楽だろ・・・?銀時は俺だけを見ていれば傷つかなくて済むんだ」


確かに、言う通りかもしれない。
精神の中に閉じこもり外界から遮断されれば、傷つくことは無いだろう。
しかし。





「俺ァそんな起伏の無ぇ人生は御免だ」

「そうかも知れないな。・・・普通の人間なら」

「なんだと?」

「精神への裂傷が限界を超えた人間は、その起伏すら苦痛になる場合がある。幸せを感じれば、その分消失への恐怖も生まれる。・・・銀時がそうだったように」


手に持った刀を、銀色は愛しげに見る。
が、一瞬でそれから興味を無くしたかのように視線を外し、再びニタリと歪めた紅を高杉へと向けた。


「俺はずっと、その恐怖から銀時を護る方法を考えていた。でも銀時は俺を拒絶しただろ・・・?あの時に」

「・・・そいつはおめぇの勝手な嫉妬のせいじゃねぇのか」


刀を真っ直ぐ左目に突きつけられる。
しかし高杉は一切微動だにせず、眼だけを忌々しげに歪めて返した。

しかしどれだけ睨もうとも、銀色は張り付いたような笑みを消す事は無い。


「嫉妬は誰でもするだろう?ただ、俺の苦痛はお前達にはきっと理解出来ない」

「・・・」

「拒絶して俺を忘れた銀時と向き合う事は出来ない。銀時を護ろうにも、銀時を取り戻さなければ不可能だろう・・・?だから俺はこの結論を出したんだ。その両方を叶える為に」

「そいつは可笑しな話じゃねぇか。護ると吐きながら、おめぇは結局自分の事しか考えちゃいめぇ」

「それならそれで構わないさ。・・・言ったろう?俺には銀時を取り戻す権利があると」


何を言っても伝わらないとは正にこの事。
高杉は眉を顰めて目前で微笑む顔を見据えた。


「他人にどう捉えられようが俺の知った事じゃない。お前の好きなように解釈すればいい」


今の自分に、この男を説得する力は無い。
そう、もし説き伏せる事が出来るとすればそれは、この世界でただ一人だけだ。


「・・・話が逸れたな。何故俺が、わざわざ起きている銀時を寝かせてまで出てきたと思う?」

「おめぇはいちいちまどろっこしいんだ。言いたいことがあるならさっさと言え」

「そうか・・・。なら言わせて貰う。・・・今すぐ江戸へ戻れ」


目を見張った高杉に背を向けて、銀色は真っ直ぐに出入り口へと足を進める。

その先には、扉を塞ぐように立つ坂本。


「俺の散りばめた鍵は此処には無い。拒むというのなら・・・この外にいる人間は全員消えると思え」

「おんし・・・本気で言っちゅうがか・・・?」

「冗談を言うように見えるか?」


銀色は目にも止まらぬ速さで坂本の真横にある壁を刺し貫いた。
しかし坂本は眉を顰めるだけで動こうとはしない。


「外に居る奴等を斬った所で、目的の為の鍵が増えるだけって事かァ?」

「分かっているなら、早いうちに進路を戻すんだな」


ニタリと笑って視線だけを向けてきた銀色に、高杉は隠すことも無く舌打をした。
銀色は一度思慮深げに首を傾げてから、深い笑みをその顔に乗せて高杉の方へ立ち直った。




「お前は・・・全てから逃げている」

「あぁ?」

「あの狗から、俺から・・・銀時から」

「・・・!!」

「逃げているのは、銀時の為じゃない。・・・お前の為だろう」


突然付かれた本音。
ヴェールに包んで隠そうとしていた本心。

それを今、突然前触れもなく暴かれて、高杉はただ眼を見開く事しか出来なかった。


「思いだして欲しくないのは、銀時の為じゃないだろう・・・?」

「・・・っ」

「さっきお前が俺に言った事と同意だ。所詮は自分の為」


反論が出来ない。

無意識とでも言える自らの願いは、確かに自分の為でしか無かったのだから。

銀色は最後に部屋を見渡し刀を鞘に収めてから、まるで自分に言い聞かせるように呟く。


「人は所詮、結局は自分の為に生きている。・・・良くも悪くもな」


高杉の前まで歩を進めて、銀色は初めてその顔に人間的な、悲しくも儚い笑みを乗せた。


「”偽善”とは、よく言ったものか。・・・さぁ晋助。銀時の為だと言うのなら、お前の思う通りの判断をして見せろ」


銀色は高杉の頬に手を当て、その顔に一層深く笑みを刻んでから、ゆっくりと目を閉じた。

目前で崩れ落ちる身体を高杉は受け止めて、近場に合ったソファへ静かに横たえる。
見慣れた寝顔と規則正しい寝息は、間違いなく銀時が持つ表情。


「・・・高杉」

「うるせぇ」


高杉の脳に響く銀色の言葉。

それは恐らく、人間が持つ感情の真理なのかもしれない。
誰かの為と叫んでも、結局は自己満足になってしまう。

ただそれが他人の目から見て露骨に出るか出ないかだけで、判断の基準が変わってしまうのだ。


自分自身が、そうであったように。



高杉は淡く光るような銀髪を人撫でして立ち上がる。
その顔には珍しくも、諦めたような苦笑を載せて。


「・・・結局誰が悪い訳でもあるめぇ。ただ、どいつもこいつも視野が狭過ぎただけだ」

「高杉?」


小さな独り言は二人には届かず、変わりに返されたのは心配気に問いかける桂の声音。
高杉は一度口元に笑みを作ってから、割り切ったかのように顔を上げた。


「江戸へ戻る」

「それは仕方が無いだろうが・・・しかし・・・銀時はどうする?」

「・・・賭けるしかねぇ」

「そいつはワシも考えとったぜよ」


ようやく気を抜いた様子の坂本は、もじゃもじゃ頭をかき回しなが高杉と桂の方へやってきた。


「銀時は本当に、忘れたままでいいんかとな」

「しかし、このままでは確実に奴の思う壺だぞ」

「誰が傍観するっつったんだァ?」


昔と変わらない、静かな寝顔。
しかしこの中には、昔も今も変わらずに、銀時ではない別の存在が居るのだ。


「このままって訳にもいくめぇ。・・・なら出来る事をするだけよ」


そう。


逃げていても始まらない。
真実を隠し通す事など、所詮初めから不可能だったのだ。

ならば自分達は事実に直面しても尚、銀時が立ち上がれるよう尽力するのみ。

何度だって銀時は立ち上がってきた。


・・・ならば。


「反吐が出るが・・・あの狗が居なきゃ話にならねぇ」


全員が全員、向き合わなければならないのだ。

銀時が拒絶した、全ての記憶と。



幾多の思いと、たった一つの願いを乗せて。

彼等を乗せた大船は、一転して母なる星へと進路を移した。









 

 

 

 

 

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