第八幕
「コイツはどういう事でィ!!!」
いつも気だるげな様子の少年が、珍しく血相を変えて叫び声を上げている。
その手には一枚の紙切れ。
それは握りつぶされてはいるものの、突きつけられている本人には直ぐに何か判断することが出来た。
「・・・そりゃこっちのセリフだ。テメェこそどういうつもりだ?」
自室にて煙草を吹かしながら資料を読んでいた土方は、突然乱入してきては怒り狂っている部下を見ることもなく苦言をもらす。
それに更に機嫌を悪くした沖田は、持っていた紙切れを此方を見ろと言わんばかりに机に叩き付けた。
「どうもこうもねぇ。・・・何でこんなもんが出回ってやがるんでィ・・・!」
叩き付けれた紙に見えるのは銀髪の男の写真と、その下になんらかを示す金額。
それは言うまでも無く、”指名手配書”。
「んなもんそいつが犯罪者で、現在逃亡中だからに決まってんだろうが」
「まだそうと決まった訳じゃないってのに・・・コイツは早計過ぎやしやせんかィ・・・!?」
かつて無い程の剣幕で迫る沖田。
しかし土方は顔色一つ変える事無く、ただ静かに眼だけを沖田に向けた。
「むしろ遅すぎたくらいだろうが。もう被害者は出てんだ、腹くくれ」
「・・・っ」
激昂する沖田に対して、静か過ぎる程の土方。
それこそ、異常なまでに。
「土方さん、アンタ・・・旦那の事なんだと思ってんでィ・・・!!」
「犯罪者」
「!!」
机を乗り越えて土方の胸倉に掴みかかる。
しかし、抵抗する事も無く静かに自分を見据えてくる瞳に、沖田は隠す事も無く舌打をした。
「アンタ・・・少しでも旦那を庇おうとは思わねぇんですかィ・・・!?」
「・・・」
土方は無言のまま沖田の手を振り解くと、再び視線を資料へと移しながら静かに口を開いた。
「世に渡ってる情報が確かなら、庇う理由はねぇ」
「情報・・・?」
意味深な言葉に沖田が眉をしかめると、土方は静かに資料を沖田へと差し出した。
何事かとその資料に眼を通す。
そこに書かれていたものは・・・
「・・・コイツは・・・!」
眼を見開いて土方をみると、丁度新しい煙草に火をつけて一息ついている姿だった。
「解離性同一性障害ってのを知ってるか」
「いわゆる、二重人格・・・って奴ですかィ?」
「あぁ」
土方は返事をしてから、机の引き出しを開けて一枚の写真を取り出し放り出してきた。
そこには沖田もよく知る、高杉の姿。
「銀時に尋問をした直後、ソイツが現れて興味深い事を言いやがった」
「興味深い事?」
「あぁ。斬った”手”は、アイツのもんだとよ」
そこでようやく沖田は手に持った書類の意味を理解した。
・・・しかし。
「旦那が・・・二重人格だって言いたいんですかィ・・・?」
「それ以外に何があるってんだ」
「過去、旦那には一切そんな素振りはありやせんでしたぜィ。それを今更・・・」
「だがそれ以外にゃとれねぇだろ」
口に銜えていた煙草を指に挟み、真っ直ぐに自分を見てくる。
確かに、その通りではあるが、しかし。
「実際にこんな事、ありえるんですかィ?」
「ありえるからそうやって資料が存在するんじゃねぇか」
土方は煙草を灰皿に押し付けて火を消し、資料を沖田から奪い取ってこの日初めての鋭い眼を向けた。
「分かったらさっさと持ち場に戻れ。・・・いいか、この事はまだ他言無用だ」
「・・・わかりやした。その代わり、最後にもう一つ」
「・・・なんだ」
「旦那を捕らえたら・・・アンタ旦那をどうするつもりでィ」
口調は静かに。
しかし、その眼はどんな素振りも気配も見逃さぬと言わんばかりに土方を見つめている。
しばらく沖田を見た後、土方は小さく溜息を吐いてから資料をコンコンと叩いた。
「それを判断する為に、今仕事してんだよ」
「・・・分かりやした」
一瞬眼を細めた後、沖田はそれ以上何も言う事なく立ち去った。
静かに閉じられた襖を見て、土方は改めて深く溜息を付いてから資料に眼を落とした。
二重人格。
あの日、高杉からもたらされた一つのヒント。
それを元に調べ上げた結果、答えはこれしか導き出されなかった。
しかし、沖田も言っていた通り、恋人として過ごした日々の中にもそんな素振りは見受けられなかった。
この”答え”は、真実なのか、それとも銀時の意志では無いと思いたい願望からか。
いずれにしても、土方の中には今だ活路が見出せなかった。
壊してしまった。
何よりも愛していたはずの存在を。
誰よりも大切にしていたはずの存在を。
確かに、最初はぎこちなく笑う男だと思った。
それも自分といることで自然に笑うようになって。
嬉しいと、良かったと。
そう思っていたはずなのに。
壊してしまった。
銀時が抱えていた過去の記憶は、自分が想像していた物よりも遥かに深く、暗く、凍えたものだった。
あれからどうしているのか。
笑えているのか。
それとも壊れてしまったままなのか。
今はまだ、自分の力では何も出来ない。
だからこそ、嫉妬もプライドも捨てて、今はただ願う。
銀時を、頼む。
どうすれば良いかはまだ分からない。
でも、これだけは思う。
・・・今度こそ、もし銀時の中にもう一人居るというなら、俺は信じたい。
信じてやりたい。
信じてやれなかった俺だから。
今度こそ。
後悔は成長への糧となる。
それを無駄にしないように。
今は、アイツの笑顔だけをただ願う。
「船・・・?」
太陽が昇り、町に活気が溢れ出した頃。
ようやく眠りから浮上した銀時は、自分を囲うように座っていた桂と坂本に驚きながらものっそりと起床した。
銀時の驚いた声が響いたのは、記憶のすれ違いを軽く埋め合わせ、今後についての話題に以降した直後の事。
「そうじゃ、ワシがもっちょるでっかい船じゃ!!」
「あー、そういやお前金持ちだったっけ。で、何でわざわざ船なんかに乗んの」
「そいつはまぁ・・・実は今、俺は指名手配犯なんだ」
「は??なに、そのヅラが新しい法律にでも引っかかったんですか」
「何度言えば分かる!これはヅラじゃない、地毛だ!!」
今かぶき町を中心に大々的に出回っている事実。
確かに桂や高杉もそうだが、現段階でそれ以上に手配されている人物について、今此処で暴露する訳にはいかない。
必死に言葉を選ぶ桂を飛び越えるように、坂本は能天気な声を飛ばした。
「よーするに今の江戸はとびきり物騒じゃきに。此処は一つ宇宙旅行に行くぜよ!」
必死に悩んだ桂の説明を、坂本は”物騒”の一言で終らせてしまった。
更には銀時も元々あまり興味の無い話題だったのか特に詮索することもなく、ただ「ふーん」と相槌を打つだけに留まらせた。
「ま、別になんでもいいけどよ。んなことより、高杉は?」
「さぁな、昨晩姿をくらませたきりだ」
「いつもの事じゃきに。心配せんでも直ぐに戻ってくるぜよ」
「別に心配なんかしてねぇから。むしろ居なくて清々するくらいの勢いだからね」
不機嫌そうにジト眼を作ってから、銀時は布団から出て立ち上がる。
が、足に上手く力が入らずよろけると、慌てて立ち上がった二人に両脇を抱えられた。
「ワリィ・・・どうなってんだ?」
「三日寝込んで、また丸一日寝ていたんだ。筋肉が衰えるのも無理は無かろう」
「めんどくせーなぁ人間って・・・ありがとよ、もう立てる」
「やっぱりえぇ匂いじゃのう金時ィ~髪もふわふわしちょるし・・・たまらんの~」
「てめーはどさくさに紛れて何してくれてんだ。変態ですか?斬り飛ばされたいんですかコノヤロー」
全力で頬を摺り寄せてくる坂本をなんとか押しのけ、銀時は頭をポリポリと掻きながら部屋を見回す。
何かを探すような仕草に桂が機転を利かせると、一度部屋から出て直ぐに何かを片手に戻ってきた。
「お前が探しているのはコレか?」
「!!」
桂が差し出したのは、古い布に包まれた刀。
銀時は一瞬驚いた後に頬を緩ませ、「そうそれ」と軽く返事をしてから受け取る。
相当歳月を重ねている布なのか、色は褪せて所々綻びが確認出来る。
しかし中から取り出された刀は、丁寧に手入れがされていたのか鞘も刀身も磨きぬかれ、今すぐにでも使用出来る程状態が良い。
「これ、誰が持ってたの?」
「高杉がな。たまに手入れをしていたようだから、錆一つついていない筈だ」
「あぁ、前より綺麗なくらいだぜ。まったくアイツもどんだけ暇なんですか」
そうぼやきながらも、その眼は優しげに細められる。
桂は眩しそうにそれを見つめると、銀時のふわふわと波打つ髪ごと頭を撫でた。
「お前もちゃんとした手入れの仕方を覚えたらどうだ。いつも俺か高杉がやっていただろう」
「んー、めんどくせぇ。いいじゃねぇか、やれる奴が居んだからよ」
「全くお前と言う奴は・・・。もう手放すんじゃないぞ。・・・先生から譲り受けた、大切な刀だろう」
「・・・手放したのか。・・・俺がこれを」
「・・・っ」
曖昧につながり、曖昧に失われた銀時の記憶。
何か一つでも刺激してしまえば、再び銀時の精神状態を壊してしまいかねない。
非常に脆く、危険で、繊細な心。
今の銀時は、一度完全に崩壊し砕け散った精神を、記憶を張り合わせることでなんとか保っている非常に不安定な状態なのだ。
動揺し息を詰まらせた桂に被せるように響いたのは、相変わらずとぼけた坂本の声。
「金時~、腹減ったじゃろ~?飯でも食うがかっ?」
「てゆーか銀時な。銀時。あぁ、そういや何も食ってねぇな。団子がいい」
「よっしゃ、好きなだけ食べるといいきに。おまんは細すぎて心配ぜよ」
「マジで?じゃアレも食いたい」
「よしゃよしゃ!どんどん食え食え~!」
ガッハッハと笑う坂本と共に、眼を輝かせて銀時は台所へと歩いていく。
元気そうな後ろ姿に桂がホッと息を吐くと、その声は突然背後から降ってきた。
「意図してやってんのかは知らねぇが、アイツの接し方が一番マシみてぇだな」
「高杉・・・!?」
窓の枠に腰をかけ、優雅に煙管を吹かしている高杉を見て桂は眉間に皴を寄せる。
この男は。
いつもいつも背後から忍び寄る事しか出来んのか。
全く・・・
「とんだ変態だな」
「あ゛?壊されてぇのかァ?」
「あ、いやすまん、つい口に出してしまった」
「それで謝ってるとでも思ってんのかおめーは」
顔をひくつかせながら吸殻を落とすと、高杉は刻み煙草を丸めて火皿へ詰め、火を付けた。
一度深く吸い込み吐き出してから、その顔を真剣な面持ちに一変させて話を切り出した。
「狗共の動きを見てきた」
「また随分と大胆だな貴様は。貴様とて指名手配犯であろうに」
「あんな狗共に嗅ぎつかれる程落ちちゃいめぇ。・・・本格的に銀時を晒し上げ始めたぜェ」
「全く。あれ程銀時に懐いていた連中だというのに・・・これ程までに腐り落ちるものか」
「分かりきってた事じゃねぇか。奴等が幕府の狗である時点でなァ」
「所詮腐った幕府の鎖に繋がれた物は、その腐敗すらも連鎖するか」
忌々しそうに眼を細める桂を、高杉は愉快気に見つめた。
「その口ぶりじゃあ、何か期待でもしていやがったのか?」
「何を馬鹿な。・・・有りえん」
「だと良いがなァ?・・・ま、体制立て直す意味も含めて、さっさとあの馬鹿の船に乗るのが賢明だな」
「だがずっと飛び回る訳にもいくまい」
「あぁ、いつかは向き合せなきゃならねぇ。だが今はその時じゃあるめーよ」
「・・・あぁ」
高杉は立ち上がり背後の窓から降り注ぐ太陽を仰ぎ見る。
空を青く染めて、大地に光と温もりを与える存在。
それを過去に失った大切な人の姿と重ね合わせながら、高杉は名残惜しげに呟いた。
「・・・しばらくは、この光も見納めだ」
静かに口元を微笑ませると、直ぐにいつものニヤリとした笑みに変えて。
高杉と桂は太陽の温もりに背を向けて、月のように儚い光を放つ者の元へと姿を消した。