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唯一無二の光

 

 

 

 

 

 

 

今だかつて一度たりとも。

これ程願ったことは無い。

これ程悔しかったことは無い。

これ程愛した事は、無い。




全ての力を使ってでも。
持てる限りの知恵を振り絞っても。
どうしても叶わぬ願いもあるのだと、身をもって痛感した。

傍らで失われていく、大切な人の光。

それでも君は優しく、儚く微笑んで。

それを目にすればするほど、己の無力さを嘆いた。


千歳の右目はもう、一切の光を映さない。
唯一取り残された左目も、日に日にその力を失っていく。
1人での生活が不可能となった時、跡部は彼を自身の邸へと招き入れた。

此処でなら専属の医師を付けさせ、使用人がいつでも彼の介助を行うことができる。

何よりも跡部自身が常に、その傍らに居る事が出来た。


とある休日の朝。
定刻に目を覚まし身支度を整えた跡部は、いつものように恋人が居るであろう部屋に足を運んだ。

自分よりも遥かに睡眠時間の長い彼の事。
返答など一切期待せずにしたノックの音に、今日は意外にも返答があった。

軽く驚きながらも、一度声をかけて入室する。

そこにはベッドの上で上体を起こし、大きめの窓の外をぼんやりと眺めている姿が見えた。


「こんな時間に起きてるとは、珍しい事もあるもんだな」

「そぎゃん珍しかね?」


朝の挨拶も無しにかけられたからからいの言葉に、千歳は一切気分を害した様子もなく柔らかい声音で返す。
同時に窓から此方へと向けられた顔はいつものように微笑みを浮かべて。
しかしその視線は定まらず、此方を探すように巡らされた。

ゆっくりと歩を進めベッドの横に立ち、細く長い指で千歳の両頬を包む。
至近距離で覗き込めばようやくその姿を認識出来たようで、嬉しそうにその顔を綻ばせた。


「ほんなこつ、綺麗な顔ばしとうね」

「アーン?何を今更な事言ってやがる」

「俺には勿体無か」

「・・・そうかよ」


それは此方のセリフだ。
どうにもこの存在は自分に関して疎すぎる。
まだ東京と大阪で離れていた時。
余計な虫が付かぬようにどれだけ苦労したと思っているのか。

しかし、そんなことを説明しても、彼は不思議そうに首を傾げるだけだ。
そんな姿も可愛くて愛しいとは思うが、分かりきっていることをあえて実践するタイプでもない。


「・・・まぁいい。・・・で、何かあったのか?」


右目が痛みでもしたのか。
何か嫌な夢でも見たのか。
しかし彼の微笑みは変わらずに、小さく首を横に振った。


「何でんなかよ。ただ、良か天気やけん自然と目が覚めただけばい」


頬に添えられた手に自らの手を重ねて、それに擦り寄るようにして目を閉じる。


「今日もこぎゃん綺麗な光ば見えたと。俺はたいぎゃ幸せもんやね」


跡部に負けず劣らず形の良い口が紡いだのは、幸せに満ち溢れているかのような呟き。
しかしそこに含まれた言葉は、跡部の心に小さな暗闇を見せた。

『空』では無く、『光』と。

もう、あの空すらも、正確に認識する事が出来ないのか。

誰よりも自然を愛し続けたその人から、無情にも光は失われていく。

誰よりもその光の大切さを知っているこの存在から、光が失われていく。

何故。
自分は余りにも無力だ。
自分には何の術もない。
ただ、これから先もずっと、その瞳でこの光を愛で続けて欲しいだけなのに。

自然と俯いてしまっていたらしい顔に、ふと温かい手が触れる。
自分の手に添えられていた手と反対の掌が、跡部の冷えた頬を暖めた。


「そぎゃん辛そうな顔…せんでよか」

「・・・・・・」


目を向ければ、至近距離で困ったように笑う君。


「俺は幸せやち思っとうばい。嘘やなかよ」

「・・・・・・そうか」

「うん。やけん、笑ってくれんね?」

「・・・」

「光ば見えんくなったら・・・そしたら、跡部んこの声が、温もりが・・・・・・俺んとっての唯一の光ばい」

「千歳・・・」


・・・全く。
こっちが励まされてどうする。
しかし、これが千歳だ。
その身の内に深い傷みを押し隠して、それでも優しく微笑んで相手を気遣うこの不器用で愛しい存在こそが、千歳千里なのだ。


「・・・千歳」

「ん?」

「最初にあった日から、お前は俺様にとって唯一無二の光だ」

「・・・っ」

「俺様がその光を、みすみす手放す人間だとは思っちゃ居ねぇだろ?」

「・・・そうやね」

「なら、精々覚悟しとくんだな」

「・・・ほんなこつ、俺には勿体無か男たいね」


そう困ったように言った千歳の表情は、とても幸せそうに微笑んでいて。
跡部は満足そうに笑みを湛えて、ふわふわと揺らぐ髪を携えた頭を撫でた。


俺は余りにも無力だ。
ただ、傍に居てやる事しか出来ない。
だがそれを君が望んでくれるなら。
こんな俺を光だと言ってくれるなら。


どんな事があっても。



絶対に。



絶対に独りにはしない。



君が温もりを求めて手を彷徨わせたなら


真っ先にその手をとって抱き締める。


君が暗闇に怯えて泣き崩れたなら


君が光だと言ってくれたこの声を届けるから。



独りにはしない。

独りにはさせない。




どれほど望んでも叶わない願いがあるのなら、せめて。


少しでも、その願いに近付く事の出来るように。





掛け替えの無い唯一無二の光を、俺は決意と共に抱き締めた。












 

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