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始まりの音

 

 

 

 

 

 

その男が、このお笑い学校へと転入してきたのは約一ヶ月前。

第一印象は、なんやこの巨人、だった。
それは誰しもが感じて、誰しもが持った第一印象のはずだ。

規格外のその長身は、身近に思い当たるガタイの良い先輩をも凌ぐ勢いで。
しかし圧迫感があるかと思いきや、むしろ柳の木を彷彿とさせるほどしなやかな佇まい。

いつもニコニコ微笑んでいるかと思えば、ラケットを振った瞬間に驚く程の器量を見せ付ける。
あれよあれよとレギュラーの地位を確立したかと思えば、部活どころか学校その物への出席率は半分以下。

正直自分はその男、千歳千里が苦手だ。
嫌いという感情を抱くほど会話を交わしたことは無い。
でも、何故か目が行く。
目が行くという事は、興味がまるで無い訳ではないという事で。
でもそのフワフワとした、安定感の無い姿を視界に入れると気分が悪くなる。
にも関わらず、何故か目で追う。
気分が悪いのに、どうしても視界に入れたくなる。

だから、苦手。








昼休みを終えて午後の授業が始まる頃。
腹も満たし僅かな眠気を感じた財前は、なんとなく授業を受ける気になれず委員会を言い訳に図書室へと逃げ込んだ。
授業が始まれば誰も居ない静かな教室。
まだ肌寒さが残る季節。
そんな中においてこの図書室は空調設備もバッチリでベストな場所だ。

しかしいくら図書委員だといえども今は授業中。
堂々と出入り口付近に居る事は躊躇われ、本棚が並ぶ中教室の隅を目指して歩いた、


その時。


「・・・!?」


教室の奥、出入り口からは死角となっているその場所。
窓際に並ぶ腰程の高さの本棚に、窓を背もたれにして座っている男が一人。
まさか人が居るとは思って居なかった為に、財前は軽く驚いて空気を飲み込むような音を喉から鳴らす。

だがよくよく見るとそれは、よくもまぁ見慣れた人物である事が分かる。

通常の椅子どころか、机より遥かに高い位置にあるはずの本棚に腰掛けているにも関わらず、力なく投げ出されている無駄に長い左足は悠々と床に付いていて。
一方体操座りのような形で折り曲げられ本棚に乗せている右足は、右顔面を覆っている腕の肘置きと化している。
垣間見える端正な造りの左顔面からは閉じられた瞳。

自分が言えた義理ではないが、またサボりか。

決して好きではない。
むしろ苦手な部類に入る先輩を目の前にして、財前は隠しもせずに顔を顰める。
図書室に来て本を読むでもなく。
かといってこんな奇妙な格好で寝ているのかどうかも甚だ疑問だ。
訳が分からない。

オマケに自分のサボり場、いや、自分は主にその反対側にある長椅子が定位置ではあるが。
とにかくこの空間を先に占拠されていた事が、非常に勝手だとは思いつつも不愉快で。

寝ていても関係無い。
一言文句を言ってやらねば気がすまないと、口を開きかけた矢先。
先にこの静寂を破ったのは柔らかく、しかし少し擦れた声音だった。


「財前くん・・・やったかね」

「っ!?」


寝ていなかった事、先に声をかけられた事、苗字を呼ばれた事。
どれにか、いや全てに驚き、目を見開く。

と同時に閉じられていた左目がゆっくりと開いて、静かな瞳が自分を射抜いた。
未だに右半分は掌によって覆われたままだったが、片目だけでも財前を金縛りに陥らせるには十分だったようで。
床に根を張ったように硬直している自分の異変についていけず、頭だけは冷静だった財前は軽い混乱状態に陥った。

いつも見せているような柔らかいそれではなく。

ただただ、無感情な瞳。

切れ長の瞳が見せるそれは他人を萎縮させ、下手をすれば恐怖すら植えつける。
だが財前は眉間に皴を寄せてその瞳を見返した。
未だ動かない足。
だが、ちょうど良い。
これで、この男の目の前から逃げ出すなんてみっとも無い真似、しでかさずに済む。


「・・・なんすか、アンタ」


震える事無く、しかしいつもより幾分か低い声音でそれだけを紡ぐ。
静かな教室に、静かに染み渡る自分の言葉。
しばらくの間の後、自分を射抜いていた無感情な瞳が、柔らかく微笑むように細められた。
これはいつもの、見慣れた瞳。


「ん・・・ちと眠かったけんね。寝ちょったばい」

「そんなとこで、そんな格好でっすか」

「んー」


間延びした返事に、財前は苛立つ。


「此処、日当たりよかもん」

「・・・」


だからといってそんなところをチョイスしなくてもいいだろうに。
財前は訳が分からないと眉間に皴を寄せつつ、とあることに気付いた。


「頭でも、痛いんすか」

「ん・・・?」


顔から離れない掌。
それに違和感を覚え問うと、相手は一度首を傾げてからようやく気付いたらしいようで。
ゆっくりと右半分を覆っていた手を退けた。


「あぁ・・・別にそげん訳やなかよ」

「・・・そっすか」


別段興味があったわけでもない。
否定されても肯定されても、自分の答えはこれ一つだっただろう。
だが予想外な出来事はその直後に起こった。

体重をかけていた窓から背中を離し、折り曲げていた右足を地面につけて立ち上がろうとした、直後。

大きな体躯が、これまた大きく右側に傾いだ。
まるで全身の力が抜けたかのように。
倒れまいと足を踏ん張るでもなく、受身を取ろうと手を出すわけでもなく、本当にゆっくり。
まるで床に吸い込まれるかのように。
変わりに動いたのは財前の足と手。

鍛えられた瞬発力で千歳の元へと駆け寄り、床に衝突しかけた体をなんとか腕を差し込むことで支えた。
そんな自分の行動に一番驚いたのは他でもない財前自身。


目の前でぶっ倒れられたら、いっくら苦手言うても後味悪すぎや。

なんて言い訳を頭の中で並べていた直後、自分の腕の中から声が聞こえた。


「・・・ん?あぁ・・・助かったばい・・・ありがとうね」

「・・・・別に」


抱え込むような体制になっていたので、相手のほうが遥かに大柄とはいえそこまで重くも無かったが。
そのままなのも明らかにいたたまれないので、ぐいっと千歳をその背後にある本棚に押し付けるようにして身体を離した。

文句の一つでも言ってやろうと相手の顔を視界に入れた矢先、開きかけた口がぎゅっと結ばれる。
千歳は眉間に皴を寄せて、確かめるように右目を瞬きさせていた。


目にゴミでも入ったのか。
そう思ったが、ふとあることを思い出した。

嫌でも目に付くこの長身。
直接話したことは殆ど無かったが、部内の他の先輩らと話してる様子は何度か見かけた。

その度にこの人は腰を軽く曲げて、まるで首を傾げるようにして相手をみていたのを思い出した。
当初は背が高いから視線を合わせているのかとも思ったが。
というか、今この瞬間までそう思っていた。

しかしさらに他の記憶も掘り起こせば。

この人のテニススタイルは非常に変わったものだと感じたことがある。
特にフォアに対する処理の仕方には、若干無駄な動きが多いように感じた。

そして、この様子。

もしかして。


「先輩・・・ひょっとして目、悪いんスか」

「・・・っ」


財前は聞き逃さなかった。
静かに息を呑む音。
僅かに見開かれた左目。

一瞬言葉を濁そうと口を開きかけたが、直ぐに時既に遅しと判断したのか。
諦めたような微笑みを、疲れたようにその顔に浮かべた。


「そう・・・やね」


僅かに目を細めて、千歳を見つめる。
自分で問いかけておきながら正直まだ半信半疑だった。

だって。

仮に若干フォアに無駄な動きがあったとはいえ、それを凌駕するほどの実力をこの目で見ているのだ。
それで目が悪いなどと、信じられないし、信じたくなかった。

この人と試合したら、絶対に勝てないと、そう強く思っていた自分が居たから。


「なら、眼鏡でもコンタクトでも、適当にしたれば良い話やないですか」

「んー」


そう、視力が低いのなら、あのラブルスの片割れのように視力を矯正したらいい。
眼鏡はテニスというスポーツの特製上、若干億劫になるやもしれないがこの際関係ない。

だがふと、なんとなくそんな問題ではない気がした。
本当に、なんとなく。
この部屋に入って最初に目撃した、あの右目を抑えて座り込んでいた姿を思い出す。
最初はただ寝ているのかと思った。
だが今思い起こせばあの姿は・・・。


そう、あの姿は。



まるで、全てに絶望をしているような・・・。





いつも緩く笑っている飄々とした姿とはかけ離れた姿。
その直後に見せた、あの無感情な瞳。

それを順に思い出すにつれて、”なんとなく”が”確信”に変わっていった。


そして、その”確信”を”確定”へと変える言葉が投げかけられる。
それも予想を上回る、虚無感さえ与えるような言葉で。



「これは、そげなもんではどうにもならんたい。・・・もう、光を見るんもやっとやけん」



耳を疑った。
今、なんと?

問いかけたくとも、喉がひび割れて上手く言葉を紡げない。
口を開こうにもヒューヒューと嫌な音がもれ出るだけ。

しかしそんな財前に気が付いたのか、最初から読んでいたのか。

千歳はただ薄く笑って続けた。


「左右の見え方ば極端に違うとるけんね。慣れたっちゃ言うても、たまにああやってバランスばとれんくなったと。だけん、さっきはほんなこつ助かったばい」


ありがとうね。
そう言って微笑む千歳の顔は、いつもの微笑み。
財前はそれを目前で見てようやく理解した。
これだ、この微笑み。

偽りを貼り付けたような。

不自然極まりない微笑み。

自分が嫌でも目で追っていたのはその長身だけではない。
むしろこの微笑みが遠めにも気になって仕方なかったのだ。
無意識に違和感を感じていた。
感情を押し隠したようなその微笑みがどうしても気に入らなくて。
だから対して話したことも無い千歳に、財前は苦手意識を持っていた。

理由が分れば話は早い。
財前は大人しく同情するほど、優しくも、そして冷たくも無かった。


「その笑い方、見てて腹立つんやけど」

「・・・ん」

「笑うんならもうちっとアホみたいに笑えばええんとちゃいますか?あの先輩らみたいに」


”あの先輩”達を容易に想像できた辺り、思いのほか自分もこの学校に馴染めているのだろうか。
そんな場違いな考えは、直ぐに続いてきた言葉で掻き消される。


「出来へんのなら、いっそ泣いて喚くなりなんなりしたらええ」


まぁそれはそれでかなりウザイっスけど。

そう付け足された呟きに、千歳は今度は素直に吹きだす。
取り繕うような笑みではなく、ごく自然に。
だから財前は何も言わなかった。

が、しかし自分の発言に吹かれたのは多少気に入らない。
それとこれとは話が別だ。
と言う訳でどちらにしろ財前の顔はムスッとしていたのだが、千歳はそんなことはどうでもいいらしかった。


「まさか、財前くんがそぎゃんこつ言うとは、夢にも思っちょらんかったばい」

「どうでも良いっすけど君付けやめてもらえません?キモイっすわ」

「んー、財前?」

「なんすか」


今度は苦笑。
この人はどうも全ての感情を笑顔で表すらしい事がこの数分で分った。
困ったり、面白かったり、辛かったり。
怒るときも笑うのだろうか。
そう思い至った直後、まさに身近に怒りの微笑みを湛える部長が居た事を思い出し、なんとなしに身を縮込ませた。


「・・・少し、怖かったんかもしれんばい」

「・・・」


思案していた直後に呟かれたのは、予想外の弱み。
表情は俯かれていて分らないが、その声は消え入りそうなほど弱々しかった。
恐らく。
少なくとも、あの繕う様な笑みは浮かべていないのだろうと思った。
変わりにあるのはきっと、泣きそうな、堪えるような、きっとそんな顔。


「朝からズキズキ痛みよったけん・・・気付いたら此処におったと」


俯いていた顔が持ち上げられ、なんとも言えない表情が自分を見つめる。
いつもなら見上げているはずの顔が、今は体勢の関係で僅かに自分の方が見下ろしている。
だからだろうか。

堪らなく、抱き締めたくなった。

だが直ぐにそんな心に突っ込みを入れる。
そんな馬鹿な。
有り得ない、有り得ない。
まさか自分がそんな風に思うなんて。
でも、でも。

だって。

そうでもしないと、この人

折れてしまいそうだったから。

もう、ずっと羽ばたき続けて、地面をはいずり続けて。

ずっとずっと歩き続けて。

くたびれて、疲れ果てて。

もう前を向くことすら諦めてしまったような。

そんな、絶望にも似た感覚を、ひしひしと感じたから。


だから、仕方ない。


そう、無理矢理自分を納得させたのと、腕の中に温もりを閉じ込めたのはほぼ同時。


「・・・っ財前!?」

「ええんとちゃいますか」

「へ・・・?」

「たまには、こういうんも」


抱き締めているから分らないが、恐らくこの先輩はその目をパチパチと開閉しているのだろう。
ちょっと見てみたいが、かといって何故か一度抱き締めてしまったら今度は離したくない衝動に駆られる。


「ま、俺も大概キモイっすわ」

「・・・そげんこつ、なかよ」


耳元で小さく呟かれた否定の言葉は、今までで一番優しい声に聞こえて。
自分の学ランに包まれた背中に軽く、申し訳程度に温もりが加えられる。
通常より少しだけ面積の大きい圧力。
しかし抱き締められるわけでもなく、そっと添えられているような。
むずがゆくなったが、何故かそれでも良いと思う。

消え入りそうだった存在が、差し出した手を掴んでくれたような、そんな気分がしたから。


「ぬくかね・・・財前は」

「そーっすか」

「うん・・・」


大した会話はしていない。
だが、元々口数の少ない財前にとってはそれだけでも十分だった。
先輩達は知っているのだろうか。
この人が抱える、とても大きな傷のことを。
それとも気付いたのは。
こうして弱みをみせてくれたのは、自分に対してだけなのだろうか。

そうだと良い。

そうして気付いた。

情けない上にキモイかもしれないけれど。

多分初めから、俺はこの人に惚れてた。

好きだから、惹かれていたから、あの繕った微笑みが我慢できなかった。

やんわりと壁を作るその態度が許せなかった。

好きだから、好きだから。

踏み込めないその領域に対して、気分が悪くなった。



時には素直に認めることも大事。

自分に対して、恐らく過去最大級に甘い判断を下して。

俺は更に強く、腕の中の温もりを抱き締めた。







 

 

 

 

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