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喧嘩と千歳

 

 

 

 

 

 

 


 「懐かしかねぇ・・・」



それは突然。
不意に呟かれた。


「・・・は?」


自分のこの反応は恐らく不自然では無いはずだ。
むしろ奴の今の発言の方が数倍不自然で奇妙で理解不能に違いない。


「ん、加減ばしちょるようやけん、心配なかね。行くばい」


そう言って踵を返し、軽快な下駄の音と共にその場を後にする千歳。
どうしたもんかと白石は千歳の背中と、先程までその千歳の視線の先にあった光景を見比べる。
そこには・・・


「喧嘩・・・やろなぁ・・・あれ」


殴り合いの喧嘩。
学ランを着た男子生徒が四人、入り乱れての流血喧嘩を繰り広げている。
一般人なら見てみぬフリをするか、警察を呼ぶか、自らが止めに入るかだろう。

しかし、千歳は。

あの光景を見るなりその顔にはやんわりとした微笑みを浮かべて、挙句最初の発言だ。
訳が分からない。
少なくとも白石の中では、『千歳』と『喧嘩』というキーワードは完全に対極に位置していた。
にも関わらずあの発言。
これは確認するより他に無い。


「・・・な、なぁ、千歳?」

「ん?なんね、白石」


スタスタと足を進めていた千歳にようやく並ぶと、白石が問いかける。
向けられたのは相変わらずの優しい微笑みで、先程の乱闘などまるで無かった事のようだ。


「さっきの・・・どういう意味なん?」

「さっき?」


訳が分からないと首を傾げる千歳は、その図体に似合わず背景に花が飛んでいるような錯覚に陥る。
しかし白石は負けじと続けた。


「あの喧嘩見て、『懐かしい』とか言うてたやろ?あれ、意味分かれへんねんけど」

「あぁ・・・簡単なこつばい」


ようやく理解したというように千歳がニコリと笑うと同時に、答えはいとも容易く、軽快に放たれた。


「あん子等の喧嘩ば、昔ん俺と桔平のごた。やけん懐かち思ったとよ」


答えの意味を直ぐに理解出来なかったのは、きっと自分だけではないはずだ。

あれが昔の千歳?

喧嘩だぞ。
殴り合いの。

それが千歳?

自然を愛し、野良猫と戯れ、柔らかく微笑む、あの千歳?


・・・・・・・


「・・・あかん、全く想像出来へん」


それが努力した結果の白石の呟きだった。
だが千歳は再び不思議そうに首を傾げる。


「そげね?獅子楽ん時は喧嘩しちょらんのにえずかち言われとったとに」


白石は硬直しかけた脳味噌をフル稼働させてなんとか思考を働かせた。
ふわふわとした印象。
優しい笑顔。
柔らかい言葉。

それら全てを一度白紙に戻して、もう一度千歳の顔や身体をじっくりと眺める。
そこでようやく。


「・・・・あぁ」

「・・・そんで納得されても嬉しくなか」


すぐさま降って来た軽い抗議はとりあえず置いて、白石の脳はようやく理解した。

確かに。
自分が知り得る千歳の空気を全てリセットしてみれば、ガラが悪そうに見えなくも無い。

中学生離れした驚くべき長身に、スポーツをしているからかそこまで細過ぎず、しかし太過ぎでも無いしなやかな肢体。
スラリと伸びた長い手足に、切れ長の瞳を宿す整った顔立ち。

見れば見るほど惚れ惚れするその肢体を持つだけでなく、一度会話をすればその表情は花のように柔らかく微笑み愛らし「・・・白石」



「・・・ん?」

「その眼、止めんね。・・・たいぎゃやらしか」


呆れているのか、困っているのか、はたまた照れているのか良く分からない表情で言われたそれは、白石のテンションを更に上げるのに十分な材料だった。

しかし、これは過去の話をあまりしない千歳から、その思い出を聞き出す絶好の機会。
脳内で勝手に脱線しておいて何だが、これを逃す訳にはいかなかった。


「で、さっきの喧嘩が大事にならんて分かる程、お前の経験はそないに豊富なんか」

「そぎゃんこつ無かち思うばってん・・・分からんばい。俺はいつも桔平に止められちょったけん」

「は?橘クンが?」

「ん」

「千歳を止める側やったんか?」

「そん通りばい」


益々興味深い反面、謎を極めた。
昔の橘なら、過去に九州二翼のプレイを映したビデオか何かで見た事がある。
彼なら千歳以上に荒れてそうなイメージは出来ていたのだが。

その橘が千歳の抑え役??

全く理解できない。


「・・・・お前、そないに喧嘩っ早かったんか」

「そこら辺は桔平のが早かったとよ?・・・ばってん」

「何や?」

「俺は夢中になっと加減ば出来んけんね。こん身体やけん相手ん方が死ぬち言うて・・・」

「・・・あぁ」

「先に桔平が手出しちょったとに、俺が後から一緒んなって喧嘩ばし出すと、いつん間にか桔平に止められちょったばい」


何故か、そこだけ理解出来た。
千歳は没頭すると周りが見えなくなる事がある。
無我しかり、テニスしかり、将棋しかり。

普段割りと物事に無頓着な所がある反面、一度何かに夢中になるととにかく手が止まらなくなる。
それを喧嘩に置き換えて、この長い手足が振り回されると考えたら。

・・・それを向けられていたであろう相手学生が哀れでならなかった。


「・・・でも、今は喧嘩なんかせぇへんやろ?何でなん」

「あれは若気の至りっちゅう奴ばい」

「・・・十分若いやろ」

「何でやろね。白石と一緒におるようになってから、そぎゃん気が全く起きんくなったとよ。・・・落ち着くからかねぇ・・・」


ばってん別に桔平ん隣が落ち着かんかったって訳でも・・・
そう呟いている千歳の声は、もう白石の耳には入ってこない。

自分と居るから。
落ち着くから。

千歳から珍しくもたらされた『特別』の証。
自分はいつだって千歳に影響され続けている。
あれだけ無駄を嫌った自分が、寄り道をして、買い食いをして、当ても無く散策して。
しかし千歳はいつだって変わらない。
千歳は千歳、そのままで。

そう思っていた。

しかし。
そうか、変わっていたのか。
君の心の中で、俺にもわからない程の変化が、少なくとも確かに。

白石はにやける頬を止められなかった。


「ならそんでえぇわ。お前には血より花のがよう似合うとるからな」

「そげね?・・・まぁ、もうあぎゃんこつはせんばい。・・・桔平もおらんけ、俺んこつば止める奴もおらんし」

「・・・・・・・・さよか」

「・・・・?なんね、嫉妬しとうとや?」


少し不機嫌になった自分の空気を察したのか、ニコリとからかう様に微笑んでそんな事を言ってくる。
図星ではあったが、それで怒ってしまっては相手の思う壺だ。
・・・そう思ったのだが。


「そらそうやろ、昔の男の名前ポンポン出されたら嫉妬もするわ」

「すまんばいね。・・・ばってん、心配せんでもよか」

「ん?」



「今ん俺には、白石が必要やけん。・・・桔平やなかとよ」

「・・・っ」

「やけん・・・これからも一緒におってくれんね?」



照れくさそうに。
恥かしそうに。
最後は消えるほどの声量で言われてしまっては。

体が無意識に反応して、此処が街中だという事も忘れてその大きな身体を抱き締めていた。

珍しく過去を話してくれた事が嬉しい。
知らなかった君を知れた事が嬉しい。
必要だと言ってくれた事が嬉しい。

そして、何より。



君に出会えた事が、嬉しくて堪らない。



「俺もお前が必要や。・・・この俺を無駄だらけの生活にしたんや・・・責任取って添い遂げてもらうで」



意外な一面が見られた今日。

明日はどんな君が見られるんだろうか。


 

 

 

 

 

 

 

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