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約束

 

 

 

 

 

 

 

”なぁ、銀八!”


”ガキがいっちょ前に呼び捨てしてんじゃねーの。で、何?”


”銀八、おれとけっこんしろ!”


”は??”


”銀八はおれとけっこんするんだよ、いいだろ?”


”オイオイ意味分かってんのか?晋ちゃんよ”


”っ!晋ちゃんってよぶなよ!こどもあつかいするな!”


”ハイハイ。ま、眼の付け所は悪くねぇけどな”


”?”


”まぁ・・・おめぇがデカくなって、俺を落とせたら・・・考えてやるよ”






あんな約束、おめぇは覚えちゃいねぇだろ。
だが俺は一瞬たりとも忘れちゃいめぇ。

あんな害虫共に囲まれてるお前を、誰よりも最初に見つけて唾をつけたのは、他の誰でもねぇ。



この俺だ。









今目の前で、大勢の男子生徒に囲まれては言い寄られている男。

教室の外から入り込む日光に反射して光る頭髪は銀色で、眼鏡の奥で無気力に潜んでいる瞳は紅い。


机に足を乗せて、左目を眼帯で覆った男子生徒は、そんな教師を射殺すような眼光で睨みつけていた。


見ないように。
聞かないように。
気を逸らそうとすればするほど、眼を凝らし耳を澄ませた。

腹の底から沸々と沸きあがる黒いものを必死に押し殺していたその時。


周りにたむろする男子生徒の一人が、調子に乗って光り輝く銀髪に触れたのを見た瞬間。

腹の底に溜まっていた黒いものが、枷事全て弾けとんだ。









放課後、生徒達が帰宅を済ませて夕闇に沈み行く教室。
そこに居る筈の担任を目指して、高杉は静かに教室の扉を開けた。


「ん?高杉か、なんだよ忘れ物か?」

「あぁ」


教室内の教壇でプリントの整理をしていた担任、坂田銀八は、突然現れた不良生徒に驚き若干眼を見開いた。


「忘れたもん取りに来た」

「そーですか。で、なんでこっち来るんですか?」


教室へと入り、真っ直ぐ自分の方へと向かってくる高杉に、銀八は面倒くさそうに眼を歪めた。


「言ったろうが、忘れもん取りに来たってな」

「だから、なんで此処にお前の忘れもんがある訳?お前の席は向こうでしょうが」

「ある」

「はい?」

「・・・此処になァ」


何なんだと見つめる紅い瞳を真っ直ぐに見つめて。
白く雪のような肌を包み込むように、頬に手を添えた。


「忘れてんじゃねぇ」

「・・・何がしたい訳?発情期ですか?コノヤロー」


振り払うわけでもなく。
ただ不機嫌に顔をしかめて、高杉の目を見返した。


「銀八」


静かに名前を呼ぶと、銀八は一瞬眼を見開いた後、いたずらっぽく口元を歪めた。


「・・・ガキがいっちょ前に呼び捨てしてんじゃねぇよ」


どこか懐かしい言葉。
自分がまだ幼かった日、毎日のように言われていた言葉。

高杉は早まる鼓動をひた隠しながら、口元にはかわらずにニヤリとした微笑を乗せていた。


「いつまでもガキだと思ってんじゃねェ」

「俺からみりゃお前はいつまでたってもガキでしょ」

「なら、試してみるかァ?」

「試すって何・・・ッ」


面倒くさそうに銀八が顔を上げた瞬間、その視界は暗く狭まった。
何が起きたと軽い混乱状態に陥ってから、直ぐに異変に気付く。


それは視界いっぱいに広がる静かな眼と、唇に触れる柔らかい感触。




「っテメ!!何してくれてんだ!!」


突然のキスに顔面を真っ赤にした銀八は、慌てて高杉の身体を押し返すように身を離す。
しかしそれを上回る力で引き寄せられた身体は、温かく大きな身体の中へと収まり、抱き締められた。


「・・・っ高杉!!」

「・・・デカくなったろ?身体も、腕も」

「は?何なのいきなり。意味分かんないんですけど!ってか離してくんない!?」

「嫌だ」

「オイコラ、駄々っ子かテメェは!!」


聞く耳など一切持たず、逃がさないとでもいうかのように抱き締めてくる高杉を全身に感じ、銀八は隠す事もせず盛大に溜息を吐いた。


「しばらくまともに会話もしなかったくせによ。いきなりなんな訳?理由無き反抗ですか?思春期って奴?いいねぇ若いもんは」

「他の奴等の前で堂々とこうして良かったのか?ま、俺は構わねぇがなァ」

「あれ、おかしいな、晋ちゃんもっと頭良くなかった?いつの間にそんなアホになったの?悪くなったのは頭?それとも性格ですかコノヤロー」

「とぼけんのも大概にしな」


腕に込められていた力を抜いてから、少し身体を離して真っ直ぐに紅い瞳を見つめる。
突然見つめられ困ったように泳いだ紅玉は、幾度か視線を彷徨わせた後、諦めたように視線を絡ませた。


「とぼけるって何」

「忘れたとは言わせねぇ」

「はい?」

「・・・忘れたんなら思い出せ」

「だから何が」


少し不機嫌に歪められた瞳に苦笑して、高杉は頬に添えていた手で優しく撫でた。


「俺がおめぇを落とせたら・・・考えてくれんだろうが」

「は?」

「身体はデカくなった。・・・後はおめぇが俺に落ちればいい」


困惑して高杉を見つめていた銀八が、そこに来てようやく思い出したように目を見開く。
息を呑むかのように。


「・・・何、覚えてたの?あんな昔の話」

「忘れた日なんかあるめぇ。あの日から俺ァ、この日だけを見てきた」

「・・・律儀だねぇ」


呆れるように。
しかし、どこか嬉しそうに微笑む顔は、ほんのり赤い。

それは夕日か、それとも。

しかし、今の高杉には、そんな事はどうでも良かった。
気になることは一つだけ。


・・・覚えていたのか、あの日の事を。


すっかり忘れられているものだと思っていた。
当然だ。
当時、自分はまだ小学校に上がったばかりのガキ。
そんなガキの戯言を、この男が覚えているなど到底予想が出来なかった。


しかし、先程の口ぶりは。


「律儀なのはどっちだァ?」

「・・・っ・・・何が」

「・・・まぁ、いい」


更に顔を赤くさせてそっぽを向く銀八。
これ以上いじれば、ようやく素直になりかけたこのひねくれ物が、また扱いづらくなる。
高杉は心の中で溜息を吐いて一歩引くと、話を本題へと移した。


「俺ァここに居る誰よりも前からおめぇを知ってる」

「まぁ、家近所だったからなぁ」

「だから、後からのこのこ出てきた野郎共が、気安くおめぇに触るのがどうしても我慢ならねぇ」

「・・・っ」


静かに、唇を銀八の耳元に寄せて、囁きかけるように続ける。


「おめぇを誰よりも知ってるのはこの俺だ。昔も今も」

「高杉・・・っ」

「おめぇに触れていいのはこの俺だけだ。今も、これからも」

「晋ちゃん・・・」

「違う」


銀八の声を遮り、高杉は再び視界いっぱいに紅玉を捉える。
添えていた手で、赤く染まった頬を撫でてから、その眼を優しく細めて続けた。


「晋助だ、銀八。・・・俺に落ちろ」


かつて無い程優しい瞳と声音。
いつも不機嫌そうに。
何かを含んだようにニヤリと笑うその顔に乗る、この男の本当の微笑み。

それが自分だけに見せられているのだと思うと、心の底に湧き上がる熱い感情を抑えられるはずも無くて。

銀八は俯いて、過去とは比べ物にならないほど広くなったその胸へと額を預けた。


「・・・ズリィ」


自らひっついてきた銀八に驚きながらもその身体を抱き締めながら、高杉は首を傾げる。


「あ?何の事だ」

「・・・成長し過ぎ」

「誰のせいだ」

「・・・おめぇの眼の付け所は悪くねぇ」


額を離し、真っ直ぐに見上げてくる愛しい紅。

その顔は照れくさそうに。
しかし、どこか勝ち誇ったかのように微笑んで。


「でもま、俺の眼には到底適わねぇな。・・・晋助」





「つーわけで、此処テストに出るからな。じゃ今日の授業は此処まで」


やる気の無い声を合図に、号令が響いて授業を終える。

それは同時に、クラスメイトによる担任へのアプローチタイムの開始を知らせるものでもあった。


「先生!!」

「先生、いつんなったらアドレス教えてくれるんですかぃ?待ちくたびれて携帯強奪しそうだ」

「そんなことより、今度買い物付き合ってくれますよね?」


よってたかって担任に言い寄る男子生徒達の姿は、正しく餌に集る獣。


「いやいや、何で俺がおめぇの買い物付き合わなきゃなんねぇの。ってか携帯無いからね俺、そんなリッチなもん買うくらいなら今日一発勝負に出てくるからね俺」

「なら俺が買ってさしあげますぜィ。さ、そうと決まればちゃっちゃとショップいきましょーかィ」

「ってちょっと、まだ学校終ってな・・・」


強引に手を掴まれ、外に引きづり出されそうになった時、部屋中に盛大な騒音が響いた。

何事かと音の方へ視線を向けると、そこには人を射殺せそうな程鋭く眼を細めて立つ男と、その前に無様に転がり散らばる机や椅子。

騒音の原因など明白。
高杉が自分の机を蹴り飛ばしたのだ。
それも他の机を巻き込むほど盛大に。


「・・・何してやがるんだァ?」

「あ、あの、高杉くーん」

「そいつはこっちのセリフでィ。いきなりなんなんで?」

「何勝手に触ってやがる」

「は?」


散らばった机を邪魔だと言わんばかりに蹴り飛ばして接近してきた高杉は、銀八に触れていた沖田の手をねじり上げた。

たった今目の前で発生した修羅場に銀八が宥めようと声をかけるが、一切無視されてしまう。


「コイツは俺のもんだ。誰の許可とって触ってんだ?」

「いつ先生がおめぇのもんになったって?」

「ちょちょちょ・・・とりあえず落ち着け。な?二人とも糖分足りないんじゃないの?」


割り込んできた銀八をギロリと睨むと、高杉は舌打してから細い手首を掴んで抱き寄せた。


「!?」

「・・・コイツは俺のもんだ。次勝手に触れやがったら・・・」


驚いて硬直している銀八を優しく抱き込み、その眼だけを冷徹な色に染めて沖田を見据えた。

その声は低く。


「おめぇらをぶっ壊す」


そう言い捨ててから、高杉は固まった銀八を連れて教室から出て行った。





誰も居ない資料室まで連れてこられて、ようやく我に返った銀八が猛烈に抗議を開始した。


「オイ!生徒の前でくっつくなってアレほど言ったろうが!!」

「おめぇが触れられるのがワリィ」

「そりゃ・・・悪かったけどよ・・・あんな盛大に暴れやがって、誰かが校長にでも言ったら俺クビ同然なんですけど」


それは有り得ない。

Z組の連中も、校長も皆。
この男を手放す筈が無い。
どんな不祥事があろうと、無理矢理理由を付けててでもこの学校に在籍させるだろう。

それが分かっているからこそ、高杉も堂々と動くのだ。

・・・しかし。


「そんなに嫌だったか?」

「・・・っ」


いつになったら素直になるのか。
付き合いだしてそれなりに日数は経過している。

しかし学校でなくとも、この男はそれらしい事をすると直ぐにこうして拒否してくるのだ。
ツンデレと呼ぶにしてもデレがなかなか来ない。


「嫌・・・とかじゃねぇけど」


少し迷うように目を彷徨わせた後、銀八は戸惑うように高杉を見た。


「おめぇ、本当に俺の事・・・その、好き、か・・・?」

「は??」


突然何を言っているのか。
これ以上無いほど示しているはずなのに。
それも、たった今。


「突然何だ」

「いや、だって、その・・・」


顔を真っ赤にして言いづらそうに眼を彷徨わせている目の前の恋人は、なんだか普段見ない姿で。

無性に愛らしくて、片手で頬を包み込む。


「どうした?」


顔を覗き込むと、銀八は驚いたようにあたふたとした後、観念したように小さく呟いた。


「・・・その・・・言ってもらった事とか・・・ねぇからよ」


・・・。
これは、予想外な事であった。
まさか、この男が。
いや、この男だからこそ、かもしれない。


こう見えて、驚く程寂しがりやなこの男だからこそ。


「言葉が欲しいなら、いくらでもくれてやる」


整った唇を、紅く染まった耳元へと近づけて囁く。

思えば、確かに言葉にしていなかった。
しかし、それには理由がある。


「俺ァおめぇの事が好き過ぎて、そんな言葉じゃ一切足りねぇんだよ」

「・・・っ」


銀色に輝く髪の毛を撫でて、自分の思いが届くようにと、優しく抱きこむ。

この男に負けず劣らず。
自分も大概不器用なのだ。




「昔から、おめぇの事しかみえねぇ」

「・・・そーですか」

「おめぇはどう思ってる」

「・・・」


どちらかと言えば、此方の方が不安がってもいいくらいだ。
言葉はおろか、態度すら拒否の姿があるのに。


「・・・俺が昔から、とか言ったら、色々問題だろうが」


少し身体を離すと、照れくさそうに笑う銀色の姿。
確かに、歳の差を考えれば犯罪の域であったかもしれないが。


「でも」


背中に感じる温もり。
驚いていると、銀髪は自分の腕の中に埋もれており、背中に腕を回して強く抱き付かれていた。

初めて、向こうから抱き付いてきた。


「・・・好きだ。晋助」


言葉なんかじゃ足りない。
でも、そんな言葉も悪くない。
銀八から言われるなら、悪くない。


「これで、条件は満たしたな」

「は?」

「俺がデカくなって、おめぇを落とせば考えるんだろうが」

「・・・良く覚えてんなぁ」


子供の頃に良くある結婚の約束。
それはいつしか風化して、思い出となるもはや決まりごと。

しかし、この恋人はそれを風化させる事無く、体現するべくして生きてきた。

それだけで。


「あぁ。考えてやるよ。・・・前向きに、な」


自分の唯一の幼馴染。
自分の大切な教え子。
そして、愛してやまない大切な恋人。


自分の人生において、欠かす事の出来ない肩書きを、この男は全て手に入れていた。

半生の中で常に中心に居た存在。
それはこれからの人生の中でもまたど真ん中で輝き続ける。


不良生徒の優しい腕に包まれて、銀八は既に決めていた未来に思いを馳せた。




 

 

 

 

 

 

 

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