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優しい音色

 

 

 

 

 

 

 

どれだけ思い馳せようと、もうあの日々は戻ってこない。


どれだけ思い望もうと、もうあの日々に帰ることは出来ない。



そんな事は分かってる。

分かりきってる事だった。

それでも、こんな雪の降る夜は

頼らずにいられなかった。









「雪が降ったから珍しいのか、珍しいから雪が降ったのか」


奇妙な言葉は、紫煙と共に発せられる。
見なくとも分かる。
きっと今その目は、さぞかし愉快気に細められている事だろう。

自分は今、この男の隠れ家で寝そべっている。
それも彼に背を向けたまま。

まるでふて腐れるように。


「訳わかんねぇ事言ってねぇでさっさと弾きやがれこの変態」


いつも通りの声音で、いつも通りの悪態をつこうとする。
しかしそれはなかなかに困難を極め、僅かに震えた声帯は寒さのせいだと理由付けた。


「風情も何もあったもんじゃねぇな」


鼻を鳴らして放たれた言葉は、しかし幾らかの優しさが含まれていて。
背後から上がった物音は、恐らく自分の望みを叶えようとしてくれているのだろう。

この男がこんなにも優しいだなんて、きっと自分以外は知らない事実。

ほんの少しの優越を感じながら、銀時は重力に負けて視界に落ちてきた銀髪をいじった。


「・・・さみぃ」


不意に放たれた言葉は、当然高杉の元へも届く。
一瞬訝しげに眉を潜めたが、直ぐにそれは微笑みに変わった。


「年中寒がってる癖に、今更何言ってやがる」


返された言葉は予想外の内容で。
しかしそれは、自分の心中をどこまでも的確に付いた比喩だった。


あぁ、やっぱり適わない。


しかしそれに素直に甘えるほど、銀時も出来た人間ではなくて。


「何言ってんですか。頭湧いてんですかコノヤロー」

「おめぇにだけは言われたくねぇがな」


ごもっとも過ぎて二の句も継げない。
何せ自分が今此処で駄々をこねているのは、まさしく自分の頭が沸きすぎてまいってしまった為なのだから。

しかし同意を口にするだなんて絶対に嫌だ。
銀時はそれ以上何も言わず、手をヒラヒラと行き来させる事で催促した。


軽く溜息を付いた高杉であったが、彼もそれ以上言葉を口にする事は無く。
代わりに手に持っていた三味線を、ゆっくりと奏でた。


その音色はとても優しく、冷え切った心を暖めるかのように紡がれる。
背を向けたままの銀時は、その身体の力を緩めて目を閉じた。



銀時は高杉が奏でるこの音色が、堪らなく好きだった。


普段口も目つきも口調も悪いこの男が発する音色。

まるで彼の中に潜む優しさが滲み出ているようで。

優しく包み込むそれを聞くのが、ある意味銀時にとって最高峰の精神安定剤とも言えた。


今の毎日に不満がある訳じゃない。
むしろ昔に比べ充実していると言えるかもしれない。

でも本当に、極稀に。

たまらなく心が寂しくなるときがある。
もう戻れないあの日々に、どうしても帰りたくなる。

それがどう引っくり返っても適わぬ思いならば、尚の事。

そんな思いを共に知る高杉だからこそ奏でる事が出来るこの音色に、銀時は頼らずにはいられなかった。



不意に流れる涙。

一度流れてしまえば、もう後に続くそれらを塞き止めることは出来ない。
きっと、恐ろしく勘の鋭い高杉の事だ。
この変化に気付かない訳が無い。


それでも、銀時は素直になれなくて。
こぼれそうになる嗚咽を必死で押し殺した。
身を丸めて、縮こまる背中を撫でる音色。


それはあふれ出した涙さえも掬い取ってくれる気がして。

泣き疲れた銀時は、まるで揺り篭に揺られるようにして眠りに落ちた。







弾き終えた高杉は、物音を立てずにその白い後ろ姿に近寄り屈みこんだ。

顔を見れば目元を腫らして眠る見慣れた姿。
涙に濡れているものの、その顔はとても穏やかで。
一定の間隔で刻まれる寝息は、とても落ち着いていた。


それを見つめる高杉の顔には、恐らく銀時ですら見た事が無い程の優しい微笑み。

一度起こさないように、優しく、ゆっくりと柔らかい銀髪を撫でると、高杉は静かに小さく呟いた。


「・・・おめぇが望むなら、何度だって聞かせてやる」


それでお前のささくれた心を癒せるなら、何度でも。


「おめぇ以外に、聞かせるはずはあるめぇ」


お前の為に身に付けた技能だからこそ。


「・・・おめぇの為なら、何度でも」


眠っているお前にしか伝えられない自分も、大概不器用だ。
だからこそ起きているお前には、これを聞かせる。



不器用な二人を結ぶのは、同じ痛みの記憶と優しい音色。



奏でられるのは、いつだって心に雪の降る日。


遠い記憶。


届かない記憶。


忘れられないなら、忘れなくていい。


寒いなら、暖めればいい。


一人で耐えられないなら、ここへ来ればいい。


望むだけ聞かせてやる。


お前の望む音色を。






だから、俺にも聞かせてくれ。


お前の刻む、この優しい音色。


お前が息づく証である、この安らかな息吹を。


それだけで、俺の心は満たされる。



二人は頼り頼られて。


優しい音色は、耐える事無く。


ただその心に、安らぎと温もりを与え続けた。




 

 

 

 

 

 

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