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誓いのアイリス

 

 

 

 

 

 

 

目前に広がる銀髪。
零距離でニヤリと細められる紅玉。


その日僕は、この学園最大級の戦争の渦中へと、自ら足を踏み入れる事になった。










この学園にはアイドルが居る。
見るものを魅了し、その心を捉えて離さない。
文字通りその存在は銀色に輝いて、僕等の中心で華を咲かせる。


しかしその華はあまりにも気高く、何者にも捕らえられる事無くそこにあり続けている。
一方俺は、この学園においてはあまりにも地味で。

我の強い面子が揃う此処では前に推し出ることも適わずに、極々平凡な毎日を過ごさざる終えないような状況だ。

そんな俺が、その華に近づけるはずもない。
近付けば、華を巡る暴風雨に巻き込まれてしまうから。

あの華は愛しい。

しかし適うはずも無い戦争に突貫するほど、身の程知らずでも無いつもりだった。


それなのに。


あぁ、神様。


これは貴方からのプレゼント?
それとも、地味な俺に対する洗礼?


いずれにしても。


今眼があっているこの華は、どうやら夢ではないらしい。


「なーにボケッとしてんの。人の顔見ながらだんまりとかは失礼だって、お母さんに習わなかった?ジミー君」

「へ?あ、すみません・・・って、誰がジミーですか!!俺は山崎です、や・ま・ざ・き!!」

「あーごめんごめん。で、そのジミー君はこんなとこで何してんの。あんぱん右手に投身自殺でも計りに来たわけ?」

「だから!!俺は山崎だって言ってんでしょうが!!しかもあんぱん持って自殺て、アンタ俺のことなんだと思ってんの!!お昼ご飯ですよ、ご飯!!」


青空が頭上に広がるこの屋上。
天気も良い事だし、ゆっくり風に当たりながら昼食でもと思った矢先、既に先客として此処に居た銀色の華こと坂田銀八。

彼はフェンスにその身を預けてゆっくりと紫煙を漂わせながら、気だるげに開かれた眼をこちらに向けている。


「ふーん。いい若者が昼休みにあんぱん一個たぁ、不健康だよ?君」

「昼休みに煙草ふかしてる人に言われたくないんですけど・・・」

「俺はいーの。もうすっかりおじさんですから」


そう言ってニヤリと微笑む顔は不敵で怪しく美しい。
何が”おじさん”なものか。
うちのクラスには貴方よりもおじさん・・・というかむしろゴリラに近いような生き物だっているというのに。





「ジミー君。君、此処良く来るの?」

「へ?あ、はい、まぁ・・」

「へぇ。通りで良く会うと思った」

「え?そうでしたっけ?」


銀八がフェンスから身を離して、ゆっくりと此方に近付いてくる。

その整った口元には小さな笑み。
細く長い指先には、今だ煙を立たせる煙草。
ふと気がついたときには、手を伸ばせば届く距離まで接近されていた。


「気付いてなかった?薄情な奴だねぇ」

「す、すいません・・・」


確かに自分はよく此処に来る。
天気がいい日は、外の空気を吸いたくなるから。

しかし、自分は此処でこの銀色を見た覚えは無い。
こんなにも特徴的な人物なら、気付かぬはずは無いのだが・・・


「俺は見てたってのに。あそこから」

「あそこ?」


銀八が自分の背後を、煙草を持った指で指し示す。

どこから?

指さされた方を銀八の肩越しから見る為に、山崎が少し背伸びをした時。
突然視界が銀色に染まった。


「!?」


口に何かが接触し、呼吸が苦しくなる。
遅れて鼻についた煙草の臭い。
パニックに陥り眼を泳がせたとき、視界の中心でニヤリと微笑む紅玉を眼にした。

そこでようやく気がつく。

自分はたった今、この銀色にキスをされているのだと。
完全に思考回路が停止し、硬直したまま棒立ちになっていると、いつの間にか銀八は唇を離して自分を見ていた。


「嘘。本当はあっち」

「・・・?」


ニヤリと微笑んで銀八が指さしたのは、先程とは正反対である山崎の背後の給水塔。

呆然とそれを眺めていると、振り向いたことで背後に居た筈の銀八が隣を横切り、校舎への階段に向かって歩いていく。


「空ばっか見てねぇで、たまには地上も見るんだな。・・・ジミー君」


手をヒラヒラとさせて、校舎の中へと姿を消した銀色の髪を持つ男。


「先生・・・俺、山崎です」


まだ思考が追いつかない脳で、やっとの思いで搾り出した呟きは、晴天の空へと消えていった。





「先生、今日これからカラオケ行きやせんかィ?二人で」

「あー、なんかすんげぇ身の危険感じるからやめとくわ。ってか会議あるし」

「今日こそ俺の土方スペシャル、食べてくれますよね」

「今日こそその犬のエサ見なくても済むと思ったんだけど。本当やめてくれる?気持ち悪いから」

「おい先生。俺の誘い・・・断る訳ァあるめぇ。黙ってついてこい」

「え、どこへですか?冥土ですか?地獄ですか?」

「先生、先生はご飯にんまい棒をかける派ですか?それとも・・・」

「本当どうでもいいからとりあえずそのヅラをとれ」


授業終了のチャイムと同時に、教卓を囲い込む黒い学ラン集団。
その中心にはメガネの奥で紅い瞳を心底面倒くさそうに歪めた銀八が、幾多の誘い文句を軽くあしらっている。

その光景を席に座ったまま眺めていた山崎は、まだ先程の昼休みの事が忘れられずに居た。


あれは現実だったのか?


密かに先生を想うこの気持ちが見せた、白昼夢だったのでは?

どうしたらいいか分からない山崎は、ただその戦場より離れた場所で銀色を見つめていた。

その時。


「!?」


半眼で生徒たちをあしらっていた銀八と、確かに眼が合った。


本当に一瞬。


だが確かに、どこか寂しそうに、複雑な色を持った瞳が、自分を見たのだ。
絡み合った視線はすぐに外されて、銀八は騒ぐ生徒たちを置いて教室から出て行った。


これで確信した。

あれは夢なんかじゃない。


確かに先生はあの屋上に居て、自分を見ていて、自分に、キスをしてきたのだ。

その真意は分からない。
それでも。

もしかしたら、自分にも光があるのかもしれない。
自分にこそ、光があるのかもしれない。


あぁ、神様。


これは貴方が地味な俺に初めてくれた、最高峰のプレゼントだと信じて。


あの華を追うために席を立った瞬間。
目前にずらりと黒い壁が並んだ。
何が起きたと眼を丸くしたとき、不意に肩に重みを感じた。


「・・・おい、山崎」

「・・・!!」


右肩に腕を乗せて顔を覗きこんできたのは、我がクラスの風紀委員副委員長である土方だ。


「お前・・・まさか参戦してくるって気じゃあねぇだろうなぁ・・・?」

「・・・へ・・・?」

「さっき・・・先生お前の事みてたよなァ・・・何、どんな裏技使ったんでィ山崎コノヤロー」


まさに殺気とも呼べるべき黒いオーラを立ち昇らせるクラスメート達。
顔を恐怖に引きつらせた山崎だったが、ここで引き下がるわけには行かない。



山崎退、人生最大の大勝負。



「こ・・・今回ばかりは、俺だって引けません・・・!」

「おめぇの恋人はミントンじゃあ無かったのかァ?」

「今更出て来たところで、貴様では俺達・・・いや俺に勝ち目等あるはずがない」

「そ、そんなの分からないでしょう!?俺だってやるときはやるんですよ!っていうかミントンが恋人って何!」


あの教室から消えた背中を追おうとするも、強大過ぎる壁に遮られてそれも適わない。

あの一瞬の銀八の視線。

それに気付かぬほど彼等も愚かではない。
だからこそ山崎を行かせまいと遮るのだ。

今行かせては、普段どこにいるかも分からない地味代表のこの男に、自分達の華を奪われると理解しているから。


「てめぇは大人しくミントンしてりゃいいんだよ」

「なんならカバディに付き合ってやってもいいですぜィ。・・・土方さんが」

「ってなんで俺ぇ!?」

「ぇ・・・って、惑わされませんよそんなの・・・!!」


一緒にカバディ・・・


いつも一人でやり続けている趣味に付き合って貰うのは大変興味深いが、今はそんなことより先生が気になる。
いや、むしろもしこのまま上手くいけば、きっと先生がカバディに付き合ってくれるはず。

そんな可能性的に限りなくゼロな妄想を膨らませながら、山崎はなんとか黒い壁を押しのける。

その時、不意に聞こえて来た声。
それは今までの声とは違い、真剣に、真っ直ぐに問いかけるような声音だった。


「山崎さんは、先生を誰よりも大切に出来ますか?」

「ぇ・・・え!!??」


問いかけてきたのは、このクラスで何よりも、誰よりも恐ろしい面表をもつ生徒ヘドロ。

一瞬で黒い壁が消えたかと思うと、ヘドロが更に接近してきた。

この一輪の華をめぐる暴風雨に、俺は確かに足を踏みいれた。
だが、だがこの人物にだけは勝てる気がしない。
そもそも予想外の人物過ぎて動揺が隠せなかった。


「大切に、出来ますか?」

「へ!!??え、あ、はい、そりゃ、勿論・・・!!」

「そうですか」


そう言って凶悪な・・・いや、晴れやかにヘドロが笑みを浮かべると、何かを眼前に差し出してきた。


その大きな手には、薄紫色の一輪花。



「これは”アイリス”という名前の花です。もしよかったら、持って行って下さい」

「ぇ・・・何で突然・・・」


震える手で花を受け取ると、ヘドロは一層笑みを濃くして言った。


「アイリスの花言葉には”      ”」





その手には可憐に咲くアイリス。
心の中には確固たる決意を秘めて、昼間来たあの屋上に足を踏み入れる。
夕暮れに染まるそこには人の気配が無く、遠くで聞こえる部活動の音だけが響いていた。
此処では無かったか・・・と項垂れたその一瞬。

不意に香った煙の臭い。

それは数刻前、目前で香ったあの臭いと同じもの。

そして思い出す。
いつもあの人が、自分を見ていたと言っていた場所を。

山崎はゆっくりと背後を振り返り、普段は気にもしない給水塔を視界に入れた。

少しの階段を上った足場に座り、足を組んで紫煙を漂わせている男。
銀髪を夕暮れ色に染めたその人は、間違いなく山崎が探していた人物であった。


「やっと気付いたじゃねーか」

「・・・先生」

「また気付かれないかと思ったよ先生」

「そんなとこ滅多に見ませんから。どんだけひねくれてんですか貴方は」

「言うねぇ。普段ジミーなのに」

「喧嘩売ってます?ねぇ、喧嘩売ってますよね」

「いやいや、嫌いじゃないよ?お前のそういう所」


ニコリと微笑んで軽くジャンプをする。
そこまで高くは無いが、決して低くも無い高さをいとも簡単に飛び降りると、銀八は煙草を口に銜えたまま山崎の近くまで歩いてきた。

そこに来てようやく気付く。


山崎が手にしている、場違いな物を。


「何それ。お前今週花当番か何かだっけ?」

「なんですかその懐かしい感じの役員。違いますよ、これは・・・」


言いかけて、不意に口を閉ざす。
どうしたのかと首を傾げる銀八は愛らしく、山崎の紅くなった頬は夕暮れに紛れて消えた。


今、伝えるべきこと。
色々考えながらここまで来た。

でも。

本番はやはり練習通りには行かない。
必死に頭で練っていた言葉たちが出てこない。

焦って瞳を泳がせていると、銀八が頭をポリポリと掻きながら言葉を発した。


「何。言いたいことあんなら、聞いてやらなくもねぇよ?」

「先生・・・」

「さっきは俺が勝手に動いちまったからな」

「ぇ・・・」






気がつけば彼の頬も、山崎と同じように赤く見える。
気のせいかとも思ったが、その眼はやり場が無いかのように空を見ていた。


「だから、言いたい事あんなら今のうちだぜ?・・・これでお相子って奴だ」


照れくさそうにもたらされた、最大級のチャンス。
これを逃してはならない。
山崎は意を決して、眼前にアイリスを差し出した。


「・・・俺、貴方が好きです」

「・・・!!」


弱気な自分が、視線を外そうと湧き出てくる。

それでも、山崎はそんな自分を必死に抑えて、真っ直ぐに銀八の眼を見つめた。
驚いて見開かれる瞳は美しく、その奥には自分だけを映している。


「・・・俺と、一緒に居てください」

「・・・」


一輪華を持つ手が震える。
訪れた沈黙に耐え切れなくなって、山崎はぎゅっと目を閉じた。

山崎にとっては一生分のような時間の後、スッと手から花が抜き取られる。
驚いて目を開けると、口元にアイリスを添えた銀八が、優しく微笑んでいた。

その姿は余りにも美しく妖艶で、ゴクリと生唾を飲み込むほどの衝撃を山崎に与える。


「一緒に居るだけでいいのか?」

「ぇ・・・」

「それなら、もう叶ってるじゃねぇか」

「あ・・・」


確かに、その通りだ。
そう。
言わなければ、あの誓いを。



「貴方を、大切にします・・!」

「・・・っ!」



紅い瞳が再び大きく見開かれ、それは徐々に嬉しそうに、幸せそうに細められた。




「・・・凄ぇ殺し文句」


















二人並んで夕暮れに染まる街を眺める。

銀八の右手には薄紫色のアイリス。

左手には、今しがた恋仲となった男の手。

暫く無言でそこに居た二人の間に会話を生んだのは、銀八だった。


「で、なんでアイリス?」

「え?あぁ・・・それは・・さっきヘドロさんがくれたんですよ」

「ぇ・・・!な・・何で」

「その花が、今の俺にはピッタリだって」

「?」


訳が分からないと首を傾げる銀八に、山崎は小さく微笑んでから思い出す。
それは弱気で地味なこの男の背中を押した、可憐な一輪華と共に与えられた花言葉。





『アイリスの花言葉には”あなたを大切にします”という意味があります。貴方のその決意と誓いには、最適な花でしょう』





その花言葉と共に貴方に贈った誓いを、俺は必ず果たしてみせる。


どんな事があろうとも、必ず。


そこで貴方が、華の様に微笑む限り。













 

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