第四幕
夜もふけて、かぶき町がすっかりと夜の姿へ変貌してから数時間。
空気が澄み、透き通るような満月が西の空へ傾きだした頃、銀時は庭側の障子を開け放ち縁側で月を眺めていた。
できれば焼酎片手に月見でもしたい気分だったが、何分ここは自宅ではないので勝手が分からない。
諦めて昼間隊士に貰った菓子折りをお供に、ただゆっくり開け放った障子に身を預けながら、胡坐を掻いてボーっと空を見つめていた。
と、そこに一つの影がよぎる。
両隣の部屋に居るであろう子供たちは既に夢の中にいるはずだ。
となれば見回りの隊士か不審者か。
いぶかしげに目を細めると、一度瞬きして目を開けた瞬間。
目の前の庭に一人、隊士では無い人間が立っていた。
「!?」
満月を背に立つ男の姿は闇に紛れ、はっきりと何者か判断できず銀時は腰の木刀に手をかける。
だが直ぐに立ち上がって臨戦状態にならなかったのは、恐らく本能でその人物の正体が分かっていたからかもしれない。
明るい月に慣れていた目が暗闇に適応しはじめるのは容易く。
そこに居た人物も直ぐに判別することが出来た。
「なんでこんなとこ居るわけ?」
細めた瞳を面倒くさそうにしかめて、銀時は思わぬ来訪者に送る。
力を抜いて再び背中の障子に身を預けたが、その手は未だに木刀にかけられていた。
「酔狂な野郎を見かけたんでな」
庭からゆっくりと縁側に近づきながら、男はニヤリと口元を歪める。
その姿は女物を思わせる派手な着物を緩く纏い、左目は包帯によって塞がれていた。
深い緑色の独眼を銀時へ向けて、ニヤリと獲物を捕らえるかのように口角を上げる。
だが銀時はそれ以上警戒することも無く、ただ近づいてくる旧友、高杉晋助の目を見返していた。
「お前ここがどこだか分かってんの?バカですか?バカなんですかコノヤロー」
高杉は喉の奥で笑いながら、銀時の目の前までたどりついたところで煙管に火を付けた。
彼は今幕府の中で最も危険視されている攘夷志士だ。
その高杉本人が敵の本拠地とも言えるこの真選組屯所内に居るという事実は、普通では考えられない事だった。
「お前がこんなとこに居なきゃ来なかったさ。まったく迷惑な野郎だぜ」
「誰がいつ来いっつったんだよ、相変わらず訳のわかんねぇヤツだな」
「変わらねぇのはお互い様だ。相変わらず腑抜けたままとはな・・・まぁ良い」
ゆっくりと紫煙を吐き出して、狂喜が含まれるその瞳で銀時を射抜く。
常人であればすくみ上がりそうなその眼光だが、銀時は特に反応することもなく、ただ気だるげに見返した。
「この界隈を賑わせている祭の火種。お前はどこまで知ってやがる?」
「火種?・・・あぁ、人攫いが特異者好きの変態だって事くれーだがな。お陰でこんなとこで生活させられて迷惑してんだ」
「・・・幕府の狗もよほどオメーに惚れこんでるってことか。こんな屋敷に閉じ込めてまで護りてぇらしい」
「で、お前は何の用な訳?くだらねぇ用なら帰りやがれ。月見の邪魔だ」
シッシッと犬でも払うかのように手を振ると、高杉は喉の奥を愉快気にならして背後の月を仰ぎ見る。
「デケェ月が上がってやがるな。ここは酒盛りと洒落込みてぇところだが・・・こんな犬小屋じゃ酒が濁る」
「珍しい事もあるもんだ。同感だな」
月から再び視線を銀時に戻した高杉は、その隣の縁側へ腰を下ろして足を組んだ。
「その祭りの件・・・面白ぇ話を聞いたんでな。久しぶりにお前の腑抜けた面を見に来てやったのさ」
「くだらねぇ用じゃねぇか。何勝手にくつろいでんだ、不法侵入で警察呼ぶぞコノヤロー」
「その警察に軟禁されてる野郎に言われたくねぇぜ」
喉奥で笑う高杉をジト目で睨んでから、すぐにケッと視線を月へと戻した。
「この祭りの一番の佳境を飾るのは確かにお前だがな・・・正確に言えば”銀時”じゃねぇ」
「は?何それ。もっと分かりやすく言ってくれない?お前の言い回しはいちいちぶっとび過ぎてて頭使うんだよ」
「奴らの目的は・・・」
一度紫煙を口に含み深く吐いてから、高杉は空に上る巨大な月を見て、しかし脳裏にはまったく別の物を思い浮かべていた。
あの月のように鮮烈なまでの輝きを放ち、今も尚彼の心に強く残る”白銀”の記憶。
「白夜叉の復活だ」
「!?」
目を見開いた銀時は、咄嗟に隣の男に視線を送る。
月を見ていたハズの高杉はいつの間にか銀時へと目を戻しており、お互いの視線がカッチリと絡んだ。
「あの戦争でお前を見たヤツが、まだ生き残っていやがったのさ。記憶に張り付いて離れねぇ・・・だがもう一度目に焼きつかせてぇのにそれはもう無ぇ」
「物好きばっかで気色悪ぃ世の中だ」
「だが俺とは少しばかり違うな。奴らは白夜叉を御旗に使うつもりだぜ」
「あ?」
「白夜叉はあの時、戦場に居なかったヤツでさえ耳にするほどの伝説になってやがる」
高杉はいささか面白くなさそうに煙管を銜えて、体重を後ろ手にかけた。
「それを手駒にすりゃ、伝説に引きずられて民衆はあっさり味方につくだろうし、あの戦闘力なら今の腐った幕府なんざひとたまりもねぇだろう。一石二鳥って訳だ」
「勝手な理屈並べてんじゃねぇ。俺はんなもん興味ねぇんだよ」
「文句ならお門違いってもんだ。動いてんのは攘夷浪士だろうが、ヅラはありえねぇし、勿論俺でもねぇ」
正面の庭を睨み、高杉は煙管に積もった灰を、トンっと庭へ捨てる。
「大方、拉致した後は薬漬けにでもして洗脳するつもりなんだろうさ。噂じゃ先に捕まった三人は薬物実験に使われたって話だがな」
「えぇええっ!?何それ、気色悪ッ!今時流行らねぇよ?そんな古い仁侠映画みたな展開!!」
思いっきり嫌そうに顔をしかめる銀時を見て口元をニヤリと歪めると、高杉は煙管を襟元に戻した。
「牙を取り戻したお前の姿は確かに見てぇがな」
煙管を片付けた事で空いた右手を、ゆっくりと隣に居た銀時の頬に近づけて添える。
その仕草は妖艶で、銀時は逃げることも振り払う事もせず、ただ瞳を少し不愉快気に歪めて目の前の高杉を見た。
「だがそれは本人の意思が無きゃ意味があるめぇよ。薬漬けなんざ論外だ」
白く艶やかな頬を一撫ですると、そのまま指を整った顎へ滑らせて行く。
銀時の顔を軽く引き上げると、その紅い瞳を覗き込むようにして顔を近づけた。
「銀時、俺と来い」
「・・・っ!?」
されるがままになっていた銀時は、目を見開いて目の前の瞳を見つめる。
だがそれも一瞬で、今度は怪訝そうにして睨み付けた。
「この状況でお前を信用しろってのか?無理な相談だぜこりゃあ」
「だろうな。だが俺の言葉に嘘はねぇ」
間近にある高杉の口元から笑みが消える。
その瞳はまったく淀む事なく、真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「ここじゃ奴らに居場所晒してるようなもんだぜ。・・・いやもしかしたら、それが狙いかもしれねぇがな」
「何それ。どういう意味よ」
「さてな。・・・ただ、幕府の狗を嫌ってる輩はそこら中にいるからなァ。更に評判落としてやりゃあ・・・」
「あー、つまりあれか。某怪盗アニメ的なアレ?予告状出してきっちり警備してたのに、あっさり盗まれちゃって市民からの面目丸つぶれ的なやつ?」
「もっと行きゃそのまま警察自体壊滅させる勢いだろうなァ」
「って事は何。俺完全にのせられちゃってる訳?」
「だからついて来いって言ってんだろうが。」
「なるほどねぇ~・・・でもま、悪ぃが一緒には行けねぇ」
「・・・説明しろ」
予想外の銀時の言葉に、露骨に不愉快気な表情をして理由を問う。
たった今、この場所の危険性を説明したばかりだというのに。
「この状況がそいつらの思惑通りってのは気に入らねぇが、俺は一応仕事でここに居るからな」
「・・・お前がそこまで仕事熱心たぁ初耳だな」
「何いっちゃってんの。銀さんこれでも以外と真面目だよ?うちは信用第一なんでね」
若干眼を見開き銀時を見つめると、高杉はしばらくしてから小さくため息をつく。
こうなった銀時はもはや何を言っても無駄だという事を、彼はよく知っていた。
「・・・本当に何も変わっちゃいねぇ・・・俺にそんな口答えする野郎は今も昔もお前くらいってなもんだ」
「俺は何も変わっちゃいねぇ。昔から、何一つな」
どれだけ欲しても。
どれだけ手を伸ばしても。
この白だけは手に入れることが出来なかった。
夜叉の牙を持った時でさえ、その生き様の根底だけは何一つ変わってはいなかった。
それを誰よりも間近で見届けていたのは他でもない、高杉自身だ。
「分かったらこの手離してくれねぇ?俺は男にゃ興味ねぇの」
「そりゃねぇぜ、銀時。男を惹きつけてならねぇ面してるくせにこれじゃあ、立派な詐欺じゃねぇか」
「できれば女を惹きつけてならねぇ面が良かったんだがな。ったくよー、何が悲しくて男に口説かれなきゃなんねぇの」
「それで誘拐まで企てられてちゃ世話ねぇな」
「全くだ。・・・ってんなこと良いから早く離せって。首痛ぇんだけど」
喉の奥で笑ってから、固定していた顔を離してやる。
ようやく開放された銀時は本当に痛かったのだろう、首を軽く数回鳴らして、その首を摩っていた。
「・・・本当に、変わらねぇ。嫌なら突き放せば良いもんを。お前はいつだってその眼で見返して、グチグチと文句ばかり垂れるだけだ」
「お前みたいな陰湿でいやらしくて変態なタイプはな、大概抵抗すると余計襲い掛かってくるもんなんだよ」
「陰湿でいやらしくて変態は余計だが、まぁ間違っちゃいねぇな」
銀時が隣を見ると、高杉にしては珍しく、その顔は柔らかい微笑みを浮かべていた。
驚いて眼を見開くと、銀時は少し迷ってから視線を逸らし、口を尖らせ小さな声でこう続けた。
「それに・・・」
「?」
「・・・お前はなんだかんだ言って、結局俺には何もしねぇの、知ってるし」
今度は高杉が驚きで眼を見張る。
長い付き合いだが、銀時がこんな事を言ったのは初めてではないか。
正直、過去に何度本気でこの白を無理矢理にでも手中に収めようとしたかしれない。
実際に行動に移しかけた事も幾度かある。
だがその度にこの男はこうして抵抗するでもなく、静かに自分を見返してくるのだ。
その真っ直ぐで穢れの無い瞳を何度恥辱に歪めてやろうと考えたことか。
だが最後には愛しさが勝る。
この穢れの無い純粋な白を、失いたくない気持ちが勝る。
自分が惚れているのは紛れも無い。
この気高く美しい白なのだという事を、その度に悟って終るのだ。
だからこそ今までこうして陰で護ってきた。
この自分ですら汚すことの出来なかった魂を、どこの馬の骨とも分からないものに触れさせてなるものか、と。
危険な敵の本拠地にまでわざわざこうして出向いてきたのも、彼にとっては当然のことであり、成さねばならぬ事だったのだ。
高杉は柔らかい笑みから、いつもの企むような瞳に変えて、口元をニヤリと歪める。
「・・・なんだそりゃ。誘ってんのか?せっかく我慢してやったのによ」
「何処をどー聞けばそうなるんだよ、頭ん中そればっかりですかコノヤロー」
「何処をどうとってもそうとしか聞こえなかったぜ?無意識たぁ危ねぇ野郎だな」
「うるせー、用が済んだんならとっとと帰りやがれこの変態!」
「お前が来ないってんなら、俺がこれ以上ここに居る意味もあるめぇよ」
そういって高杉はもう一度柔らかく微笑むと、銀色の癖のある髪を一撫でして立ち上がった。
庭に向けて数歩歩いてから煙管を取り出し、火をつけてそれを口に含む。
先ほどよりも少し傾いた月に向けて紫煙を深く吐き出すと、再び銀時へと身体を向けた。
「お前にもし何かあったら、俺は迷わずここを吹き飛ばすぜ。それでもいいんだな」
「いやよくねぇから。公共機関潰す理由が俺とか笑えないからねマジで、脅迫ですかコノヤロー」
「俺の誘いを蹴りやがったんだ、それくらい当然ってもんだろうよ」
「お前が一番危ねぇよ・・・」
いつものように喉の奥で高く笑うと、高杉は今度こそ銀時に背を向けて歩き出す。
「なんにせよ、用心はするこったな。・・・奴らは本気だぜ」
そう残して、高杉は紫煙をまとって闇へと消えていった。
じっとその後姿を見送っていた銀時は、完全にその気配が消えた事を確認すると、深くため息をつく。
空を見上げると、変わらない大きな月と一緒に、先ほど旧友によって吐き出された紫煙がまだうっすらと漂っていた。