第六幕
銀時が食事を終えて土方の下へと赴いたのは、山崎が彼を呼びに来てから軽く一時間は経過した頃だった。
副長室の前に立つと、銀時は盛大なる大遅刻をかましているにも関わらず、なんとも間の抜けた声で中の人物へ声をかけた。
「オイコラ。来てやったぞコノヤロー。三秒以内に出てこねぇとこのドア全面的にマヨ塗りたくっちま・・・」
「大遅刻しておきながらどんだけ態度でけぇんだテメェは・・・!」
銀時が最後まで言い切る前に、勢い良く目の前の引き戸が叩き開けられる。
扉が開いた事で目の前に出現した瞳孔開き気味の瞳はピクピクと怒りに震え、口元に銜えられた煙草はもはやフィルター部分まで焼け焦げていた。
「遅刻も何も、別に時間指定されて無かっただろー?全く困るんだよね、そういう八つ当たり。急ぎなら自分で出向くなりなんなりあるでしょ?」
「だからわざわざ朝っぱらから山崎寄越しただろうが!」
「あーもう分かった分かった、で何?用無いなら帰るよ?」
「・・・クッ・・・とにかく、入りやがれ」
頭を抱えた土方が室内に誘導すると、銀時は一つ大きなため息をついて入室した。
自身の正面にめんどくさそうに胡坐を書いて座った銀時を一瞥して、ある一箇所に眼を止める。
「・・・あ?おい、なんだそりゃ」
「なんか今日その切り出され方ばっかなんですけどー?で、何が?」
「なんで隊服なんて羽織ってやがんだ」
「あー、これ?さっき総一郎君が、大串君とこ行くならこれを羽織っていけってよ。何、なんでお前ら揃いも揃って俺の服装気になる訳?お宅らピー子か何か目指してんの?」
「とりあえず俺は大串君じゃねぇ。・・・ったくあの野郎・・・どこまで邪魔しやがる・・・っ!」
沖田の隊服を羽織って目の前に座っている銀時は、気だるげに首筋を擦っている。
見るものを魅了するその仕草に見惚れつつも、その度に視界の端にちらつく黒い隊服がやけに癇に障る。
軽く舌打をすると、気分を切り替えるかのように新しい煙草に火をつけて、一息ついた。
「まぁいい。・・・早速だがな、例の拉致事件。テメェの耳に入れておきたい事があったんでな」
本題を切り出すと、瞳だけをこちらに向けてくる。
いつものような軽口が出てこない辺り、素直に聞く意思はあるようだ。
「・・・怪しいと思われる攘夷浪士に動きがあったという情報があった。正確な動向は現在調査中だが・・・ま、敵の狙いは分かってんだ。テメェはじっとしてろ」
「ふーん。っていうか、身元分かってんならさっさとお縄にしちまえばいいじゃねぇか」
「分かってねぇな、正確で確実な情報がねぇ以上、下手な事は出来ねぇんだよ」
「事が起こってからじゃ遅いと思うんですけどー?これだからここの警察、市民から苦情だらけなんじゃないんですかねー」
「テンメ言わせておけば・・・!!こっちだってな、捕まえられるもんならさっさとやってんだよ!!」
「あーそうですかー。・・・ま、そういう話なら俺はそろそろ出かけようかね」
「ってオイコラ、人の話聞いてなかったのかテメェは。じっとしてろと言ったんだぞ俺は」
小指で耳の穴を掃除しながら立ち上がろうとした銀時を、土方は額を引きつらせながら呼び止める。
だが銀時は全く気にしていないようで、小指の先に付着した垢を息で吹き飛ばし、呟くように言葉を発した。
「敵が動いてて、狙いが俺で。そう来たらほら、次はどう来んのかくらい分かんない?」
「ぁあ?何訳分かんねぇ事・・・・っ!?」
いぶかしげに銀時を見ていた土方だったが、その頭の回転の良さで直ぐに言葉の意図を理解し眼を見開く。
銀時はその様子をチラリと横目でみてから小さくため息をつき、ゆっくりと立ち上がった。
「ま、そうゆうこった。オメェの大事な真撰組護りたいってんなら、黙ってそこに座ってろや」
「テメ、何メチャクチャな事言い出してやがる。言ったはずだ。テメェがまんまと拉致られちまったら、それこそ真撰組の評判は地に落ちて終わりなんだよ」
「心配しなくてもオメェらの評判は既に地どころか地面突き破って海底の奥深くまで沈んでんだ。今さら一個落ちたとこでたいして変わんねぇよ」
「心底腹の立つフォロー痛み入るぜこの糖尿野郎・・・!・・・っておい!!」
スタスタと部屋を出て行こうとした銀時を、土方は慌てて立ち上がって呼び止める。
足は止めたものの顔はこちらを向けない銀時に軽く舌打してから、苛立ったように頭を掻く。
「・・・忘れたとは言わせねぇ。テメェはここに仕事で来てたハズだ。それを途中放棄たぁどういう了見だ」
「何言ってくれてんの。仕事はちゃーんとこなしたぜ?依頼内容は”騒ぎが落ち着くまで”だったろ」
「どこも落ち着いてねぇじゃねぇか」
「落ち着くんだよ、コレで」
「あ・・・?・・・まさかテメっ」
銀時の言わんとしている事を理解した土方は、その目を鋭く細めて睨みつける。
痛い程の視線を感じてか銀時は肩越しに土方を振り返り、その視線を軽く受け流すような気だるげな表情を浮かべた。
「勘違いしないでくれる?別にわざわざ捕まりに行くとか言ってんじゃ無いんだから。俺の大取劇より、なんやかんやでも一応幕臣のここを襲撃される事のほうが世間的に大騒ぎだって言いたい訳よ銀さんは」
「テメェが俺達を心配するとはな・・・今日の天気は雪か?」
「なーんで俺がオメェらなんぞの心配しなきゃいけない訳?・・・・・・俺ァ俺の護るもん護るだけよ」
「・・・・っ」
気だるげな眼を一瞬だけ思慮深げに細めたかと思うと、それはすぐに進行方向へと向けられて部屋を出て行こうとする。
土方は反射的に身を乗り出して、気がつけばその手は、白く予想以上に細い腕を握り締めていた。
「・・・・何?」
「・・・・っ・・・」
再び振り返った紅い眼は酷く静かな瞳で。
条件反射的に腕を掴んでしまった土方は、されどその手を離すことは出来ず。
かといって次の言葉も浮かばずに、ただ視線を逸らして唇を噛んだ。
何故だ。
いつも腹が立つ程飄々としているこの男が見せる、この静かな目を。
今は直視する事ができない。
襲い掛かる全てのものを、自分一人で背負い込む事を。
その眼はまるでもう決めてしまっているかのようで。
揺らぐことの無い瞳は、彼にそうさせることを、もっと遥か昔から決意させ実行させてきた事実を語っているようで。
誰一人、傷付けさせはしない。
しかしそれは裏を返せば、誰一人彼を護れない事を意味する。
そんな事は認めない。
そんな勝手は認めない。
それならば何故、自分たちはここにいる。
そう思い立ったとき、土方は銀時の腕を力強く引き寄せ、不意をつかれてバランスを崩した銀時の身体を抱きとめた。
勢いに負けて肩から落ちた沖田の隊服は小さな音を立てて畳の上に落ち、土方の手は自分より細身の背中に回される。
「・・・って・・・っちょ!!??お前何してくれてんの!?」
「・・・黙れ」
「黙ってられるかっての!!セクハラで訴えるぞ!!」
「だから・・・!・・・黙れ」
「・・・っ」
普段とは違う剣幕の土方に圧され、仕方なく銀時は口を閉じる。
少し待つと、土方はゆっくり口を開いた。
「・・・勝手な行動は許さねぇ」
「・・・はぁ・・?」
「テメェが何考えて一人で動こうとしてんのかなんて知ったこっちゃねぇがな、テメェをここにかくまったのは総悟の意思で、テメェを引き止めるのは俺の意思で、テメェを護るのは真撰組の意思なんだよ」
「・・・っ!!」
「それ全部無視してここ出てくってんなら、それ相応の覚悟出来てんだろうな?」
うろたえるように身じろぎをした後、銀時は戸惑いを隠せない声音で問う。
「・・・なんでそこまですんの?」
「・・・んなもん俺が聞きてぇよ」
「意味わかんないんですけど。・・・・死ぬかもしれねぇのに」
「そりゃテメェにも言える事だろうが」
「他人だぜ?俺ァお前らと違って。そこまでされる理由・・・」
「銀時」
「・・・・っ!?」
初めて名前を呼ばれたことに驚いていると、抱きこまれていた身体がゆっくりと開放された。
戸惑った瞳を向けると、土方は真っ直ぐにそれを見返して口を開いた。
「理由なんざ関係ねぇんだよ。俺が・・・俺達がそうしたいからしてんだ。それをテメェにとやかく言われる筋合いはねぇ」
「なんだそれ・・・」
「依頼は終わりだと言い張るんなら、今ここで俺が直々に新しい依頼を言い渡してやる」
「って、なんでそんな上から目線!?なんか腹立つんですけど!?」
「依頼内容はこうだ」
「オィイイイ!ちょっと聞いてる!?腹立つっていってんじゃん!!」
「内容は”以後、何があっても俺達を信じろ”」
「・・・っ!?」
しばらく銀時は真剣に自分を見据えてくる瞳を見返していたが、根負けしたようにため息をついて視線を足元へと外す。
くしゃりと自分の髪の毛を掴んでから、視線の先にあった隊服を掴み上げて見つめた。
「・・・・たくよー・・・本当、勝手で横暴で身勝手で・・・・物好きな連中だ」
そう呟いた銀時の瞳は困ったような、しかし嬉しそうでもある複雑な色をこめて細められた。
しばらく見つめていたもう一人の物好きが貸してくれた隊服を、再びその肩へと羽織らせる。
それは先ほどまで背中にあった温もりと同じ暖かさを持っていて。
そんな気恥ずかしさを隠すように、銀時は土方に背を向けた。
「・・・オイ」
静かな呼び止めに、今度はいつものニンマリとした顔で振り向く。
「心配しなくても、仕方ねぇからその依頼受けてやるよ。ただし、報酬はガッツリもらうぜ」
「ふざけんな。・・・テメェへの報酬なんざ、一升瓶一本で十分だ」
「へっ・・・悪くねぇ。んじゃ、ゆっくりお天気注意報でもみてくらァ」
「勝手にしやがれ」
手を後ろ手にヒラヒラさせて退出していった銀時を見送って、土方はいつの間にか完全に燃え尽きていた煙草を捨てて、新たな煙草に火をつける。
深く肺の中に煙をいれてから吐き出すと、ついさっき触れた温もりがまだ残る掌を見つめた。
「・・・・・細ぇ・・・」
想像していたよりもずっと華奢だった身体は儚く。
無意識に漏れた言葉を聴いたものは、誰も居なかった。