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ただ、今だけは涙を

 

 

 

 

 

 

 

珍しく部活前に部室へと姿を現していた千歳。
皆が驚きつつもその表情を明るくし、談笑していたところでそれは放たれた。


「・・・ちょっと、よかね」


静かに呟かれた言葉。
しかしそれは確かに全員へと響き、あの騒がしかった部室が一瞬にして静寂に包まれた。
再び騒ぎ出さなかったのは恐らく、発言者がその顔を少し寂しそうに、申し訳無さそうに微笑ませていたから。


「・・・なんや、どないしたんや千歳」


訝しむように問いかけた白石に千歳は静かに微笑みかけるも、その口はやはりそれ以上開かれない。
しかし、部員達は珍しく、我慢強く待つ。

・・・待つ事を嫌う、あの謙也ですら。

千歳がこんな表情を見せるのは、それ程彼らに影響を及ぼすものであった。


「聞いて欲しいこつがあっとよ」


ようやく切り出されたのは、意味深な言葉。
聞いて欲しい事。
こんな面持ちで申し出されたこの言葉だ。

悪い予感が胸を占める。
再び流れた沈黙に対し、最初に限界を訴えたのはやはりこの男。


「なんや。はよ言えっちゅー話や」


顔を顰めて言う謙也に、千歳は小さく苦笑して「すまんね」と一言返すと、一度軽く深呼吸してから口を開いた。


「俺ん眼・・・もうじき見えんくなっとよ」


放たれた宣告。
それはこの場に居た財前を除く全員が目を剥く内容だった。

・・・いや、正しくはその意味を理解していない。
ただ驚き、その脳内で千歳の言葉を反復しているように見える。

・・・見えなくなる?

千歳の眼が?

一体何を言っている。


「なんやそれ、意味分からんで千歳」


首を傾げて、その場に不釣合いな声を飛ばしたのは金太郎。
誰もが眼を泳がせて口ごもる中で、目線を合わせて微笑んだのは千歳本人だった。


「ん・・・金ちゃん、今日はちょっと寝癖ばついとうとや?」

「そやねん!昨日髪の毛半乾きで寝てもうてなぁ・・・ここんとこ跳ねてもうてん!」


ニッコリと笑って寝癖を指差した金太郎の頭を撫でて、千歳は言葉を選ぶようにして静かに口を開いた。


「うん。・・・金ちゃん。・・・もうすぐな、こぎゃん寝癖も、豹柄ん服も・・・気付いてあげられんくなると」

「え??」

「金ちゃんとこうやって眼ば、合わせてあげられんくなっとよ」


そう言った千歳の顔はどこか寂しそうで。
金太郎の心の中に得体の知れない不安が募っていく。
それでもその意味がまだ分からなくて。
千歳の顔を覗きこんだとき、彼の野性的とまで言える視力が気付いた。

その右目の、違和感に。


「・・・?千歳、なんや、右目おかしいで?」

「・・・そやね」


問いかけても、返されるのは寂しそうな微笑だけで。
爆発しそうな不安感は、その無邪気な表情を曇らせた。

いくら言葉を選ぼうと、言っている事は同じ。
分かってはいても、千歳はそんな金太郎の表情を見る事がつらかった。


「・・・もう片方も、そうなるん?」

「・・・ん」


流石に金太郎も、千歳の言った言葉の意味を理解する。
元々理解はしていたのかもしれない。
ただ、その脳が認めたくなかっただけで。

この場にいる他の者達と、同じように。


「い・・・嫌や」

「・・・金ちゃん」


咎めるように名を呼んだのは白石。
しかしそれは全く金太郎の耳へ届いておらず、その大きな眼はただ千歳だけを射抜いていた。


「嫌や!!」

「・・・ごめんな、金ちゃん」

「嫌や!嫌やで!!ワイは認めへん!!」

「金ちゃん!やめぇや!」

「そんなん・・・っ千歳テニス出来んようになってまうやん!!」

「遠山、少し黙りや」

「嫌やで千歳!!ワイは絶対認めへんからな!!」


周りの静止も無視して叫び、千歳に抱きついた金太郎は泣きそうになっていて。
その暖かく小さな身体を、千歳は優しく抱き返して頭を撫でてやる事しか出来なかった。


「千歳、ワイ・・・千歳がワイの事見てくれる眼ごっつ好きやねん・・・っ」

「うん・・・」

「優しゅうて、綺麗で・・・っ」

「・・・ん」

「それ見れんくなるやなんて、ワイぜっったい嫌や!!」

「金ちゃん・・・ほんなこつ・・・ごめん」


いよいよ泣き出した金太郎の頭を撫でるその手も、僅かに震えていて。
混乱していた彼らの心を現実へと引き戻し、代わりにやりきれない想いが胸を占めた。


「千歳・・・」


膝をついていた千歳は金太郎を宥めながら、呼びかけてきた謙也を見上げる。
向けられた顔はどこか困ったように微笑んでいて。

どう声をかけていいのかが分からない。

本当なら金太郎のように、すがり付いて泣きたいくらいだ。
溜まらずに拳を握り締めると、先に口を開いたのは千歳の方だった。


「謙也、大丈夫やけん。・・・心配せんでよか」

「・・・っ」


放たれたのは、こんな中でも自分を。
自分達を案ずる言葉で。

一体、彼はどこまで。

そう思うと、口は自然と動いていた。


「何で・・・」

「ん?」

「何でお前はいつもいつも、人ん事ばっか・・・!!」

「謙也・・・」

「もっと自分大切にせぇや!弱音でも何でも吐いたらえぇやろ、そない強がられたって嬉しないわ!!」


悲痛に歪んだ顔で訴えられた言葉に、千歳はただ眼を見開く事しか出来ず。
言葉を繋げられなかった千歳の変わりに口を開いたのは白石だった。


「・・・これだけでも、だいぶ進歩やろ」

「・・・っ?」


静かに呟かれた言葉は、他の誰でもない、千歳に向けられていて。


「ちょっと前までのお前やったら、完全に見えんくなるまで隠してたんとちゃう?」

「・・・そやね」

「どんな手つこてこの頑固もん説得したんか知らへんけど・・・感謝すんで、財前」

「・・・別に、説得なんかしとりませんけど」


突然名を呼ばれた財前は、軽く驚きながらもそう応える。
それすらも分かっていたのか、白石は小さく笑って千歳へと視線を戻した。


「・・・千歳」

「・・・なんね」

「すまんな、俺も動揺してん」

「ん・・・分かっとう」

「せやけどな、これだけは言わせてくれへんか」

「・・・ん?」


白石は千歳と同じように膝を付き。
そのふわふわの頭に手を優しく乗せて、泣きそうになる顔を叱咤して微笑みを乗せる。


「千歳、言うてくれて・・・ホンマにおおきに」


震える声で伝えられた言葉に、千歳は驚き。
大きく見開かれた眼は、直ぐに何かを堪えるかのように細められた。

突如としてもたらされた、最愛の人が抱えた重過ぎる現実。

今はまだ、誰しもが動揺を隠せなくて。
認めたくなくて。
零れる涙を止められなくて。

分かっている。
彼が求めているものはきっと、こんな雫では無い事を。



それでも、今は。



・・・今だけは。



いつか君が望む笑顔を浮かべる為に



彼らはただ一人を思い、涙した。











 

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