最終幕
「報告しろ」
副長室にて、目前に控えていた山崎に声をかけると、山崎は短く了解の意を示してから報告書を読み上げた。
「月光党に与していたと思われる攘夷浪士は、赤月寅之助を含めた大多数を一斉逮捕。現在は現場から逃走を図った数名の浪士を捜索中です」
「例の薬物については?」
「詳しくはまだ分かっていませんが、捕縛した浪士の証言によると、特に異国の血を持つ者に打ち込んだ場合に強く作用が効いて、深い催眠状態に陥るようです。ただ未だ未解明な部分が多く、以前に誘拐された三名のうち、二名が死亡、一名が錯乱の末意識不明に陥っています」
「アイツが何事もなく戻ったのは奇跡的って所か」
「もしくは異国の血ではないのか、それが薄いのか・・・こればっかりは旦那に直接聞いて見なきゃ分かりませんが」
「ま、無駄だとは思うがな」
「?」
土方は吸っていた煙草を灰皿へと押し付けてからその場に立ち上がる。
言葉の意味を理解出来ずに山崎が首をかしげて見ていると、道場の方から微かに聞こえてくる宴会音に目を向けて土方が応えた。
「あの野郎が自分の事、そう簡単に話すと思うか?」
「・・・あぁ・・・そう言われちゃそうですね」
「その件についてはこれ以上奴に話す必要はねぇ。分かったら残りの攘夷派を草の根分けても探し出せ」
「は・・・はい!!」
とりあえずハッキリと返事を返したものの、ふとある事に気付いた山崎。
スタスタと副長室を出て行こうとしていた土方に、おずおずと声をかける。
「あ・・・あの、副長・・・?」
「あ?」
「あの・・・どちらへ・・・?」
「何処って・・・決まってんだろうが。道場だ」
「あの、俺は・・・」
「さっきの返事はなんだったんだ。切腹したくなけりゃテメェの仕事を言ってみろ」
「・・・残党の捜索・・・」
「分かってんじゃねぇか。ならさっさと行きやがれ」
「・・・はい・・・」
心の中で大号泣している山崎を残し、土方は一人宴会が開かれている道場へと消えていった。
「遅かったじゃねぇか、大串君」
「だから誰が大串だコラ」
土方が道場に足を踏み入れると、既に大宴会場と化した室内の出入り口で、銀時が壁に寄りかかって立っていた。
てっきり他の隊士に酒を積まれ出来上がっている頃だと思っていたのだが、予想外に銀時は素面である様子で此方を見ている。
「テメェがこんな場で飲んでいねぇとはな」
「何言ってんの君。君が来ないと俺飲めないじゃん。ダラダラ待たせやがってよー。殴るよ、殴っちゃうよマジで」
「・・・?」
訳が分からず眉間に皴を寄せていると、銀時はため息を吐いて、手を差し出してきた。
その手には未使用の猪口。
「オイ。報酬無しとは言わせねぇぞ」
「・・・!!」
そこでようやく理解する。
自分は確かに言った。
報酬は一升瓶一本で十分だと。
その口約束の為に、この宴会の中でコイツは自分を待っていた。
そう思うだけで土方の内心には熱が広がっていく。
しかしそれを表に出すことは断じてプライドが許すはずも無く。
目を細めてニヤリと笑うことで、それを隠した。
「変なとこ律儀な野郎だ」
「貰うもんは貰っとかねぇと。こっちも商売ですから」
早く寄越せと言わんばかりに、ニンマリといつもの厭らしい笑みを浮かべて猪口を揺らしてくる。
土方は出入り口に並べてあった未開封の酒瓶の中から、割と上質なものを手にして考える。
そして。
「っ!?オイ!!」
それを予告無しに銀時に向かって放り投げると、予想外の行動に声を上げながらなんとか受け止めた。
「俺は酌してやると言った覚えはねぇ。報酬は”一升瓶一本”だろ?飲みたきゃ自分で注げや」
「ったく・・・素直じゃねぇなぁーお前もよ」
「本当、素直じゃねぇお方だ。せっかく旦那にお酌できるチャンスを棒に振るなんざ・・・呆れ通り越して感服しまさァ」
「!!??」
いつの間にそこに居たのか。
銀時の傍らに立っていた沖田は、若干不機嫌そうに土方を見ている。
「まったく。旦那が全く酒を飲んでくれねぇと思ったらアンタのせいでしたかィ。いつの間にそんな約束交わしていやがったんだか・・・油断も隙もねぇ野郎でィ」
「おまけにコイツそん時俺に抱きついてきやがったからね。銀さん危うく貞操奪われる所だったんですけどー」
「・・・・・へぇ」
一瞬にして沖田の顔がまるで般若のような形相に変わり果て、ご丁寧に身体全身にはドス黒いオーラを纏っている。
流石にコレはマズイと踏んだ土方は、その額に滝のような汗を流しながら千切れんばかりに首を振った。
「ちょっと待てオイ!!!なんて奴になんて発言してやがる!!・・・ま、待て総悟、話せば分かる、話せば分かる・・・!!」
般若VS鬼の戦争に成り代わった場所をスタスタと後にして、銀時は新八達が座っている場所へと移動し腰を下ろす。
「あ、土方さん見つけました?」
「あぁ、今部下と取り込み中みたいだから酒だけかっぱらってきた」
「・・・土方さんも苦労人ですよね」
「それよりおめぇら、酒は飲んでねぇだろうな?」
「飲んでませんよ、ね?神楽ちゃ・・・グフォォオオ!」
同意を求めた先から飛んできたのは、容赦の無い夜兎の鉄拳。
「何銀ちゃんと・・・ヒック・・・イチャついてるアルかぁああ!!!・・・ヒック」
「ちょちょちょちょ、何が飲んでないの新八君んんん!?この子めっちゃ酔ってるよ、悪酔い所の騒ぎじゃないじゃん!」
現実から目を逸らすかのように新八を見るが、とうの少年は既に先の一撃でノックアウトしている。
どうしたらいいかと試行錯誤していた所に突然来た腰への衝撃。
「っ!?」
「銀ちゃぁ~ん・・・」
目を向けると、完全に目がすわっている神楽が視界に入る。
恐怖に思考が飛びかけるのをなんとか堪えながら引き剥がしにかかった。
「ちょ、神楽ちゃん?あ、あの、て・・・手離してくれる?」
「銀ちゃん・・・どんだけ心配かけるアルかぁ・・ヒック・・・お母さんに心配かけるなんて・・・悪息子アル・・・!」
「ごごごごごめんよお母さん!!悪かったから命だけは・・・!!!」
「教育・・・し直すアル・・・!!!・・・ヒック」
「テメェ!チャイナ!!人が見てねぇ隙に旦那に抱きつきやがって!!!」
「・・・!このガキが!!・・・ヒック・・・どれだけ私の邪魔するネ・・・!!」
なんだかよく分からないが、突然乱入してきた沖田のお陰でなんとか命を取り留めた銀時は、目にも留まらぬ速さで庭側の出口付近まで退避する。
と、そこに嗅ぎ覚えのある匂いが漂っている事に気付いた。
直ぐにそれを発している人物に予想が付き、出入り口から外に出る。
そこには予想通り月明りの下、壁に寄りかかって煙管を吸っている高杉と、その傍らに立って腕を組んでいる桂の姿。
「おめぇ、んなとこに突っ立てて余裕だなオイ。怪我人は大人しく寝てやがれコノヤロー」
「これくらいなんの問題にもなりゃしねぇ」
「立っているのもしんどかろうに。・・・全く手におえん」
傍らで溜息を吐く桂を視線で黙らせて、高杉は眉一つ動かさずに煙を吐いた。
「・・・おめぇこそどうなんだ」
「何がよ。酒ならまだ飲めてねぇけど?」
「誰がんなこと聞いた」
「あれから身体に異常は無いかと聞いてるんだ、高杉は」
「あぁ、別に。・・・今んとこは問題ねぇ」
返事をして銀時も壁に背中を預け、先程貰った酒瓶から猪口に酒を注ぐ。
大きな月の元で酒を飲む銀時の姿は美しく、黙ってそのまま見て居たくなる程だ。
高杉と桂も例外では無かったが、その沈黙を破ったのはやはり高杉だった。
「あんな野郎にまんまと捕まるとはな。・・・やっぱりまだあるんじゃねぇのか?奴等に感じる黒いもんがよ」
「・・・別に。あろうがなかろうが関係ねぇさ。俺はただ此処で、ぼんやり生きてくだけよ」
「相変わらず生温い野郎だ」
「だが、それでこそ銀時だというものであろう」
ゆっくりと流れる穏やかな時間。
それは昔、確かに感じ共有してきたもの。
その居心地の良さに銀時は目を閉じると、不意に感じた頭に触れられる感触に、ゆっくりと目を開けた。
そこには、優しく右目を微笑ませる高杉の姿。
「・・・あの日の誓い。てめぇも覚えてるか」
「・・・あぁ」
驚く程心は穏やかで。
いつもの軽口も息を潜める。
目を閉じれば、今でも鮮明に浮かぶあの桜吹雪。
忘れるはずが無い。
「なら言ったはずだぜ。俺の傍から離れるなってなァ?」
「・・・」
そうだ。
確かにそう言っていた。
無言で居る桂も、おそらくは同じ事を思っているのだろう。
・・・しかし。
「なら、おめぇらが離れなきゃいいじゃねぇか」
「ぁあ?」
頭から手を離してこちらを睨み付けてくる高杉に、銀時はニンマリと笑みを返す。
「俺ぁいつでも居るぜ。・・・万事屋にな」
そう微笑んで酒の入った猪口を差し出す。
眉根を寄せて睨みつけていた高杉だったが、一つ舌打をして差し出された猪口を受け取った。
「自分で首輪外して逃げちまった仔犬なんぞに、もう興味はあるめぇよ」
一息に酒を喉に流し込むと、空になった猪口を銀時に放り返して背を向ける。
「これ以上犬小屋に居るのは御免だ。俺ァ帰るぜ」
「酒飲んでいかねぇのか?」
「酒なら京で飲む方が数倍うめぇ」
「ま、言えてらぁ」
クスクスと笑みを零す銀時を見納めるかのように高杉はもう一度振り返り、その白い頬に手を添えた。
「狗共に伝えとけ。次会うときゃ正面からぶった斬るってな」
「やだね。自分で言ってけよコノヤロー」
「口の減らねぇ野郎だ」
笑みを零してふわふわした銀髪を撫でると、高杉は再び銀時へ背を向けた。
「銀時、おめぇ専用の首輪は空けといてやる。・・・生温い生活に飽きたら、いつでも帰ってこい」
そういって煙を吹かしながら夜闇へと消えていく高杉を、銀時は静かに見送る。
悪態を吐きながらも自分の居場所を作ってくれる、不器用で優しい旧友の姿を、その心の内に焼き付けるかのように。
高杉の背中を見つめながら、銀時は隣に居た桂に向かって静かに声をかけた。
「ヅラ・・・。アイツの事、頼んだぜ」
「ヅラじゃない、桂だ。・・・珍しいな、お前が奴を案じるなど」
「まぁ・・・あんな深手負わせちまったのは俺のせいだしな」
高杉には見せなかった、まるで悔いたような表情を浮かべる銀時に、桂はその頭をあやす様に撫でた。
「そう気に病むな。だからこそ奴もあぁして平然を装っていたのであろうに」
「わぁってるよ。・・・ま、頼むわ」
「・・・分かった。お前も、何かあったら直ぐに呼べ。お前の傍らにはどんな時であろうと、俺達が居ることを忘れるなよ」
「そいつは有り難いこって。・・・ま、そうならねぇように祈るとするかね」
「そうだな」
二人で静かに笑いあうと、桂は高杉の後を追うように闇へと消えていった。
旧友である二人が消えた闇を見つめながら酒を胃に流し込むと、背後から声が聞こえてきた。
「・・・行っちまいやしたかィ」
「ま、堂々と盃を交わすなんてのは無理な話だったろうがな」
振り返ると、そこには出入り口にもたれかかっている沖田と土方が居た。
銀時は小さく微笑んで二人を見る。
「なに、友情でも芽生えちゃった訳?」
「気持ち悪ィ冗談はやめろ。あいつ等は所詮テロリスト。俺達の敵だ」
「俺にとっちゃ、もっと明確で現実的な理由から最大級の敵ですがねィ。・・・特に高杉の野郎は」
銀時には理解出来ない炎を立ち昇らせる二人を軽く流して、酒を猪口に注ぎながら口を開く。
「ま、今日のところは見逃してやってくれや。・・・何も言わずに消えたアイツ等に免じてな」
「今日は宴の夜だ。俺達もそこまで無粋じゃねぇよ。・・・ただし」
「次会った時は、全力でしょっぴきまさァ。・・・テロリストから、大事な一般市民を護る為にねィ」
なんだかんだで同意を示してくれた二人に、邪気の無い素直な笑みを返すと、二人は不意打ちを食らった為かその頬を紅く染めた。
それを隠すように、土方は顔を掌で覆い背中を向ける。
「・・・今日の主役はテメェだろうが。とっとと戻って来い」
「・・・あぁ。ま、存分に楽しませてもらうさ」
そう言って先に室内に入った土方を追って中に入ろうとした時、不意に沖田に手を握られて振り向く。
と、一瞬の隙に耳元へと唇を寄せられ、静かに囁かれた。
「・・・アンタを護るのは他の誰でもねェ。・・・この俺だ」
「・・・!」
驚いて目を見開いていると、唇は直ぐに遠のき、変わりに自分の前へと回り込んだ沖田が不敵な笑みで自分の手を引いていた。
そして。
「・・・忘れねぇでくだせェ」
まるで有無など言わせないとでも言うような声音に、銀時は室内へと導かれるように手を引かれながら、苦笑して呟いた。
「・・・まったく。どいつもこいつも、もの好きだねぇ・・・」
鬼だと。
夜叉だと。
そう罵られ続けてきた自分に今向けられているのは、溢れんばかりの笑顔と優しさに満ち満ちた言葉達。
・・・先生。
先生は、俺にこんな世界を見せる為に、あの時俺を逃がしてくれたのか?
だとしたら俺は、貴方に感謝してもしきれねぇ。
こんなに暖かくて、優しい世界なら。
こんな世界も悪くない。
ある者は護るべき者の為に。
ある者は護るべき世界の為に。
ある者は己の誓いを貫き通す為に。
それぞれがそれぞれの想いの為に刃を持つ。
交わる事の無い彼等が、偶発的にその想いを重ねる理由はただ一つ。
日が落ちた闇の世界を光で満たすのは、空に輝く白銀の月。
それと類似した輝きを放つ一人の存在を、ただ護るが故に。
そして月に魅せられた者達は、皆競い合うように今日もこう誓うのだ。
”アイツを護るのは、この俺だ”・・・と。
かつて鬼と罵られた男は、数え切れない程の友愛に包まれて。
暖かな月の光の中で、ただ静かに幸せに満ちた微笑を浮かべるのだった。