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隠された悲鳴

 

 

 

 

 

 

 

今日も部活に姿を見せなかった千歳。
かれこれ三日、学校にすら姿を現さない千歳に一言物申さんと、白石は沢山の言うべき小言を胸に抱きながらその扉の前に立った。


既に訪れ慣れたその部屋。


なんの躊躇いも無くドアノブを回せば、そこはやはり容易に室内への侵入を許した。
お世辞にも広いとは言い難い部屋。
靴を脱ぎ、彼が居るのであろう場所へと顔を覗かせた、その時。


「・・・っ!?」


白石の眼には、予想を遥かに超えた光景が広がっていた。
襖は叩き破られ、本は散乱し、机は脚が折られている。
元々多少散らかっていた部屋ではあったが、これは明らかに何物かが暴れたような形跡だ。

更に驚くべきは、その部屋の隅の方。

倒れこみ蹲るようにして身を丸めた大きな身体は、間違いなく自分のよく知る男だった。


「・・・千歳っ!」


慌てて白石が駆け寄るも、千歳はぴくりとも動かず。
普段冷静な脳内に最悪の事態が連想される。
白い顔を更に青くして、その身体を揺さぶり焦りが滲み出た声をかけた。


「千歳、どないしたんや!はよ起きぃや!」


触れた体には暖かい体温があり、手首からは脈が感じられる。
一先ず安堵の溜息を吐こうとした瞬間、白石は直ぐにそれを飲み込んだ。


「・・・白石?」


ゆっくり、ゆっくりと視線を上げ、うねる髪の毛から覗いた顔。
それは今にも泣きそうな、苦しそうな、普段の彼からは想像もつかないような表情をしていて。

白石は大きく眼を見開いて問いかけた。


「千歳・・・何が・・・」

「ん・・・大丈夫やけん、心配せんでよか」


しかし、その表情は直ぐに消えて、代わりに苦笑を漏らすような曖昧な微笑みを浮かべる。
その返答を白石が信じる事は、到底無理な話で。


「どこがどう大丈夫なんや。納得出来るように説明せぇや」

「やけん・・・」

「ほんなら、この部屋はどないしたんや。賊に進入でもされたんか?それとも・・・」


聞かずとも分かっていた。
力なく投げ出されている手が傷だらけになっている様子から、間違いなくこれは千歳本人が暴れたと見て間違いない。


・・・ただ、そんな姿など到底想像もつかないが。


普段、自分達とは刻んでいる時がまるで違うのではないかと錯覚を起してしまうほどのんびりとしていて。
どんな事があっても優しく微笑み、自然を誰よりも愛でているこの男が。

それ程までに荒れている姿など、とても。


「・・・千歳、一体何があったんや」

「・・・」


沈黙と共に、再び俯かれる顔。
その姿はあまりにも弱々しく、痛々しい。
どうしてやる事も出来ず白石が唇を噛むと、その小さな声は不意に吐き出された。


「・・・ったと」

「ん?」


震えたその声は、耳を澄ませても聞き取る事は叶わず。
白石は問い返す。
しばらくの間を置いて、それは再び放たれた。


「・・・怖かったと」

「・・・っ?」


俯かれたまま放たれたのは、予想外の訴え。
白石は聞き取れはしたものの理解が出来ず、眉間に皴を寄せた。
しかし、千歳はそれ以上なにも口にしない。
白石が意を決してその頭に優しく手を乗せて、安心させるように撫でながら声をかけた。


「何が、怖かったんや」

「・・・」


千歳は撫でられたまま、ゆっくりと自分の掌を眼前に翳して呟いた。


「・・・右目が」

「・・・っ!?」

「右目が・・・壊れかけとう」


それは、白石の脳内に電流を走らせた。
右目?
千歳の右目が、壊れる?

どういう事だ。
何を言っている。
何故今、そんな事を・・・


「視力が、食われとうよ」

「千歳・・・」

「・・・もう、見えんくなるばい」


明確に放たれた現実。
しかしそれには更なる真実が隠されていた。


「・・・右目だけやなか」

「ちょお待て千歳・・・何がどうなって・・・」

「・・・こんままやと、両目とも・・・見えんくなるとよ」

「・・・っ!!!」


パニック寸前の白石の脳内が、昔何かで読んだ資料を思い出した。
もし万が一片目を失った場合、それに引きづられるようにして反対側も失明に陥る場合が多いと。

しかし。

しかし、千歳の右目は見えていたハズだ。
少なくとも数日前までは。


「いつ・・・いつからそないな事になっとったんや・・・っ」

「・・・一週間前に、突然おかしくなったとよ」

「ッ何で直ぐ言わへんかったんや!何でこないになるまで一人でおった!!」

「・・・心配ば、かけとう無かったけん」

「お前は俺にかけんで、他に誰にかけるっちゅうんや・・・っ!!」


溜まらずに、横たわっていた千歳の身体を抱き寄せた。
まるで力の入っていない千歳を、自分の身体で支えこむように。


「普段見えとるもんが消えてって・・・気が狂いそうになっとったんやろ・・・」

「白石・・・」

「怖いんやったら幾らでも傍におったる。あたりたいんなら俺にあたればえぇ」

「ばってん、そげんこつ・・・」

「お前は何でもかんでも溜め込み過ぎなんや。・・・それが余計俺を心配させとるんやって・・・気付いとらんやろ」


その心の内にどれほどの不安を抱えていたのか。
何も言わない君の心理は海よりも深く。
自分などが窺い知る事は到底出来ない。
だからこそこれ程の事態へと悪化するまで気付けなかった。
その方が、知らぬうちに傷ついていた方がよっぽどつらいのに。


「一人で泣いとったんか」

「・・・っ」

「俺は、自分の恋人も護られへんのか」

「・・・白石っ」

「吐き出せばえぇんや、全部。・・・全部、聞いたるから」


腕の中で自分を見上げたその顔には、決壊した涙が次から次へと溢れ出していて。
そのまま胸に埋もれて抱き返された腕は強く、まるですがりつくように。


「・・・怖か・・・っ!」

「ん」

「皆が・・・白石が・・・全部見えんくなっとよ・・・っ」

「・・・千歳」

「消したくなか・・・っ!・・・ばってん、もう・・・止められんばい・・・」

「・・・っ」


最後は消え入る声で呟かれた。
失っていく視界を誰よりも認識しているからこそ、その痛みは白石ですら計り知れないもので。
だからこそせめて。
止められないのなら、せめてこれだけでも。


「俺が、傍におる。道に迷わんように、忘れんように。・・・寂しないように」


もう二度と、一人で泣かせてしまう事の無いように。


「不安なんか感じる間も与えたらん」


何があっても、この手を決して離しはしないから。


「せやから・・・安心せぇ。何が何でも、俺がお前を護ったる」


痛みも喜びも、幸せも不安も。全部全部一緒に背負うから。


初めて自己の感情を剥き出しにしてまですがり付いてきた千歳。
その震える身体を強く強く抱き締めて。
この気持ちがどうか、どうか伝わりますようにと。

やがて静かに、掠れた声が白石の耳を打つ。


「白石・・・一人にせんで欲しか」

「アホ、頼まれたってせぇへん」

「声ばずっと・・・聞かせてくれんね・・・」

「あぁ。・・・イヤっちゅう程聞かせたる」

「・・・好いとう・・・たいぎゃ好いとうよ・・・っ」

「むっちゃ好きやで。骨の髄まで・・・愛しとる」



それは、誓い。
暗闇に飲み込まれてしまう君が、傷ついてしまわないように。

導き、時には導かれて。
そうして共に歩んでいけるように。

僕等はただお互いを強く抱き締めて。

その思いを心に刻み込んだ。







 

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