鶴と風車
太陽の光を受けて反射する銀色の髪。
不安と恐怖に染め上げられていた紅い瞳は、最近になってようやく楽しそうな、幸せそうな微笑みで彩られるようになって。
いつからだろう。
あの瞳を、俺だけに向けて欲しいと願うようになったのは。
いつからだろう。
あの存在を、自分の腕の中だけに閉じ込めたいと願うようになったのは・・・。
「銀時、鶴の折り方は知っているか?」
「つる?」
「あぁ。教えてやろう」
「・・・うん」
最近、銀時はよく話すようになった。
よく笑って、よく遊んで、よく寝る。
それは子供であればごく普通の事なのかも知れないが、彼らにとってはそれが幸せでならなかった。
橙色の折り紙を大切そうに抱えたまま、銀時は興味津々といった様子で桂の手先を見つめる。
水色の正方形はみるみるうちに姿を変えて、あっという間に鶴へと進化した。
銀時はまるで魔法でも目撃したかのように目を見開いて、うわぁ!と小さな感嘆符を上げた。
「さぁ、次は一緒に作ろう」
「おれも、つくれる?」
「勿論だ」
「!教えて!」
嬉しそうに笑った銀時は、早く早くと桂を急かして折り紙を折り始めた。
そんな銀時を、愛しそうに見つめる桂。
それを、更に嫉妬に満ち溢れた瞳で見つめる男が一人。
「鶴なんぞよりも遥かに面白れぇもんがあるぜ、銀時」
「晋助?」
不意に飛んできた声に、銀時がピクリと動きを止めてそちらを振り返る。
そこには無愛想な中にも僅かな笑みを湛えた少年の姿。
視認すると同時に眉を顰めた桂は、しかしその口を開く事無く静かに高杉を見据える。
歩み寄り銀時の隣に腰を下ろすと、高杉は後ろ手に隠していたものを銀時の目前へと差し出した。
「??なに、これ」
「真ん中に息、吹きかけてみろ」
「??」
目前にあるのは、棒の先に花の様な、妙な形をした折り紙が四つ円を描くように付いている物。
不思議そうに眺めていた銀時は、高杉の助言に一つ頷くと、恐る恐る息を吹きかけてみる。
「!・・・まわった!!」
吹きかけられた事により出来た風に呼応して、勢いよく回転するそれ。
一瞬で目をキラキラとさせた銀時は、この物体の正体を教えろといわんばかりに高杉を見た。
「これは”風車”だ。面白ぇだろ」
「おもしろい!かざぐるま、おれもつくる!」
「あぁ、いいぜ」
銀時の興味が完全に風車へと移動したのを確信して、高杉は勝ち誇ったかのように桂を見る。
それには桂も眉間に皴を寄せて不機嫌を露にし、背中を向けてしまった銀時の肩に手を置いて口を開いた。
「銀時、鶴が途中で止まってしまっているぞ」
「え?・・・でも、かざぐるまつくりたい」
「後でいくらでも作れば良い。途中で投げ出すのは良くないぞ」
「・・・うん」
「銀時が作りてぇと言ってんだ。嫉妬して八つ当たりたぁ見苦しいぜ」
「そもそもお前が途中で割り込んで来たんだろうが。見苦しいのはどっちだ」
「・・・ちょっと」
「俺は銀時に話しかけただけなんだよ。はなっからおめぇなんか眼中にねぇんだから、割り込んだつもりもねぇ」
「お前はどこまで自己中なんだ。もう少し物事を客観的にだな・・・」
「・・・・ねぇ」
いつの間にやら開始されていた口論は、その中心となっているはずである人物を無視して更に白熱していく。
此処最近になってこの光景はもはや日常茶飯事と言えるようになってきており、銀時は小さく溜息を吐くと静かにその場を後にした。
嫉妬と独占欲故に多発する二人の衝突。
それに呆れて避難する銀時。
いたっていつも通り。
なんの変哲も無い日常。
そのはずであった。
・・・此処までは。
「銀時!!どこだ!!」
「高杉、どうだっ?」
「居ねぇよ・・・クソっ」
気付くと姿を消していた銀時は、その後二人が慌てて探しに出ても見つける事が出来なかった。
やがて日が沈みきり、心配も頂点に達しかけたその時。
二人の嫌な予感を確信へと変える騒音が響き渡った。
「・・・っ?悲鳴!?」
聞こえたのは女性の悲鳴。
いや、むしろ奇声と表現した方が良いかもしれないその声は、二人にとって非常に悪い意味で記憶に残っていた。
町に出たとき、見ず知らずの大人が銀時を見るたびに発するその声。
「高杉、向こうだ!」
「言われなくても分かってる!!」
探し続けた銀色の居場所を断定付けた二人は、弾かれたように地を蹴り走り出した。
(たすけて、たすけて・・・!!!)
銀時は暗闇の山道を必死になって駆け上った。
恐怖に萎縮した喉はその悲鳴を音に変える事無く、ヒューヒューとした荒い呼吸だけを漏らし続ける。
いつもの口論を開始した二人から避難した銀時は、周辺の山道をうろうろと散歩しているうちに、近辺の村付近まで降りてしまっていたらしい。
その特異な姿形から、物心ついたときより迫害を受けていた銀時だ。
本能的に身を翻し逃げようとするも時は既に遅かった。
銀時を発見した男により集められた村人達によって追いかけられ、銀時は右肩に刀傷を負わされながらもなんとか逃げ延びた。
しかし、異常なまでに追いかけてくる大人たちに、疲れ果てた銀時がふらつきながら後方を確認しようと意識を逸らした瞬間。
「・・・っ!!??」
真横から伸びてきた手により、銀時の口は押さえられ大柄の男に拘束された。
突然の事に動転し、渾身の力を込めて暴れるもその体は押さえ込まれてしまう。
「ようやく捕まえたぞ、この鬼が」
「・・・っ」
声を発する事の出来ない銀時は、紅色の瞳を苦痛に歪ませる。
右肩に負った傷よりも遥かに痛む暴言。
幼い少年の心を切り刻む言葉は、尚も浴びせられる。
「よりによって松陽なんぞの住処に逃げ隠れよって・・・自分から出てきたんなら好都合だ」
「厄を運ぶ鬼が!早く殺せ!!!」
大の大人に取り囲まれて飛ばされる刃のような言葉達。
ようやく優しさに慣れ始めていた銀時を、再び地の底へと叩き落すには十分過ぎるそれは、止むどころか激化する一方で。
脳裏に蘇る、少し前までの地獄を思い出すと、銀時の顔から表情が消えていった。
それでも、過去と違う事が、一つだけ。
「痛ッ!!このガキ、噛み付きやがった!!」
自分の口を覆っていた掌に思い切り噛み付き、大きく口を開いて声を発した。
「・・・け・・・て・・!」
「ぁあ??」
「・・・た・・・すけ・・・て・・・!」
恐怖に煽られて、大声を出そうにも喉が震える。
それでも確かに、銀時は言葉を発した。
過去と違う事。
助けを求められる相手が、今の銀時には居る。
だから。
「たすけて・・・!!たすけて!!!」
かつて無いほど、腹に力を入れて渾身の限り叫ぶ。
それを再び黙らせようと正面に居た男が踏み込んだ、瞬間。
男の身体は、そのまま真横へと吹き飛んだ。
「・・・っ!?」
突然の事に驚き、振り返る間もなくまた一人大人の身体が吹き飛ぶ。
銀時自身も目を見開いていると、直ぐに身動きを封じられていたはずの身体が自由になり目前に見知った幼い少年二人の顔が映りこんだ。
「晋助・・・小太郎・・・?」
半分夢うつつのような顔をしてそう呟いた銀時に、二人は安堵して微笑を浮かべる。
高杉は軽く銀時の頭を抱え込むように抱き締めると、乱れきった頭をゆっくりと撫でて口を開いた。
「・・・ちゃんと聞こえた」
「・・・っ!!」
「おめぇの声、ちゃんと聞こえたから・・・間に合った」
それは高杉には珍しく、心から安心したかのような声で。
擦れたそれは、涙を押し殺しているようでもあった。
「傷は痛むか、銀時」
白い衣を紅く染め上げている右肩を見て、桂は眉間に皴を寄せながら問いかける。
銀時は高杉からゆっくり桂の方へと視線を移すと、まだ硬いながらも微笑みを浮かべて顔を左右に振った。
「もう・・・いたくない」
「・・・そうか」
「だが傷物にした礼はしなきゃならねぇ」
しばらく銀時を抱き締めていた高杉は、ゆっくりとその身体を離して正面の男達を見据えた。
その手には、先程大の男を殴り飛ばした木刀を握り締めて。
普段から鋭い目つきのそれは、更に吊り上り殺意さえ感じられた。
幼い子供とは思えないその迫力に一瞬大人たちが息を呑むも、直ぐに体勢を立て直す。
「鬼を庇うガキが・・・ソイツが振り撒く厄にまみれて直に死ぬだろうよ!」
「コイツから貰ってるこの暖けぇ気持ちが厄だってんなら・・・俺は喜んで享受するぜ。てめぇらになんぞ死んでも渡さねぇ!」
「・・・っ!!」
高杉が勢いよく地面を蹴ると一瞬にして間合いが詰まり、握り締めた木刀によって男を殴り飛ばした。
次の相手へと目を向けると、大人達は直ぐに引きつったような声を上げて身を翻し始めた。
低脳な棄て台詞を吐いている声も聞こえたが、高杉は唾ひとつでそれを記憶から掻き消し直ぐに銀時の元へと歩み寄る。
「・・・大丈夫か」
「・・・うん」
「銀時、先生が心配している。・・・早く戻ろう」
「・・・うん」
まるで塞ぎこむように俯いている銀時に、二人は目を見合わせて眉間に皴を寄せる。
ようやく、笑顔を見せ始めていたのに。
楽しそうに、言葉を紡ぎ始めていたのに。
一瞬にして過去に逆戻りしてしまったかのような銀時に、二人が俯きかけたその時。
「・・・ねぇ」
「・・・?」
不意に飛んできた、銀時からの呼びかけ。
予想外のそれに二人は直ぐに顔を上げて目線を向ける。
そこには真っ直ぐに、真剣な表情で自分たちを見つめる銀時が居た。
「・・・おしえて」
「教える・・・?」
「何をだ?」
問いかけると銀時は一度生唾を飲み込んで、掌をぎゅっと握り締めてからもう一度言葉を発した。
「つるも、かざぐるまも・・・おしえてくれなくてもいいから・・・かわりに、たたかいかた、おしえて」
「・・・っ!!」
驚き目を見開くも、銀時の目は疑いようが無い程真剣な色を乗せていて。
一瞬たりとも視線が外される事は無かった。
困惑の表情を浮かべうろたえる桂とは反対に、高杉も初めは驚いたものの直ぐに銀時の目を真っ直ぐに見つめ返した。
そして。
「構わねぇよ」
「高杉!?」
「銀時が教えて欲しいと言ってんだ。俺に断る理由なんぞあるめぇ」
「だが危険だろう!!」
「よく考えても見ろ。自己防衛も出来ねぇ方がよっぽど危険だろうが」
高杉の言葉に、桂は一瞬たじろいで口を閉じるも、その顔はまだ納得していないようで。
高杉とて桂の気持ちが分からない訳ではない。
訓練をするようになれば、怪我を負う場面も増えるだろう。
銀時とはじめて合ったとき、目を覆いたくなるほど傷だらけだった銀時を知っているからこそ、そういったものに過敏になるのも分からなくも無い。
だがこのまま温室育ちにしてしまうのも、正直問題なのではないかと思う。
銀時自らがその繭から抜け出したいと考えているのなら、尚の事だ。
だから、きっと。
「お前が知りたいというんなら、俺はいくらでも教えてやるよ。・・・ただし」
「・・・?」
「風車も・・・・鶴も。ちゃんと覚えろ」
「え・・・?」
「剣玉でもお手玉でも、何でもいい。息の抜き方も知らねぇ奴が、真に強くなれるはずはあるめぇよ」
そう言って銀時の頭を撫でると、紅色の紅玉がくりっと見開かれて高杉を見上げた。
同じように桂も驚いていたが、直ぐにその顔に微笑みを浮かべ肩の傷に触れないように背中を撫でた。
「・・・そう、だな。・・・遊ぶ事も、大切な事だぞ銀時」
「・・・うん!」
「じゃ、先生も心配してんだろうし。傷もさっさと手当てしなきゃなんねぇんだから・・・さっさと帰るぞ」
「うん!!」
その瞳を、俺だけに向けて欲しい。
その声を、俺だけにかけて欲しい。
次第にそう思う日が多くなって、そればかりを望むようになって。
それでも、今日、あの笑顔を見て思ったんだ。
ああやって心の底から笑ってくれるなら。
楽しそうに話して手を伸ばしてきてくれるなら。
その傍に居られるだけで幸せだと。
黒く醜い嫉妬心すらも浄化してしまうほどに、あの子の笑顔は綺麗で
誰よりも何よりも、護りたいと思った。
さぁ、今日は何を、つくろうか。