第十一幕
どれだけ理解しようとしても。
どれだけ納得しようとしても。
幼い彼等にとっては、それはあまりにも酷で困難を極める現実だった。
生きていてくれさえすれば、それで良いと思っていた。
それでも。
高杉からもたらされた彼の現状は余りにも非現実的な物で、その脳には混乱しか生まれなかった。
「ち・・・ちょっと待ってくださいよ。二重人格って・・・そんなの、いつから・・・っ!」
「おめぇらがアイツに会うよりも遥かに昔からだ」
「そ、そんなもん銀ちゃん一言も言ってなかったアルよ!」
「そりゃそうだろうなぁ。アイツは別人格の存在を忘れていやがる」
「忘れてって・・・今も僕らのこと忘れてるんですよね・・・?」
そう、新八の疑問はもっともだ。
自分はまず、2人に銀時の現状を全て話した。
今の銀時の中に別人格が潜んでいる事も。
彼自体の記憶が戦時中まで退行してしまっている事も。
全て偽りなど無い。
それでも疑いたくもなる程に、その状態は余りにも複雑で重いものだった。
「あぁ。アイツの頭ん中は、昔からメチャクチャなパズルみてぇになっていやがる」
高杉は一度言葉を切って、静かに眼を閉じる。
瞼の裏に映るのは、ただ一人の男の姿。
「壊れかけてるもんを護るために脳ミソが緊急で施すやり方が、記憶の削除なんだろうよ」
ただ、そんな事を何回も繰り返せば、いつかは自分自身に辻褄が合わなくなっていく。
いや、既に記憶の流れが不自然であることに気がついているはずだ。
勘が良いアイツなら、なおの事。
「なら・・・記憶、戻さない方がきっと銀さんのためなんですよね」
「・・・・・・」
悲しそうに笑いながら言う新八の顔を、高杉は静かに見つめる。
「思い出したら、またあんな風に壊れちゃいますよね。僕らの事、本当は思い出して欲しいけど・・・あんな銀さんはもう、見たくないから・・・」
そうだ。
この幼い二人が見た最後の銀時は、精神に異常を来たし錯乱状態に陥った姿であった。
尚更そのインパクトは強く、異様なまでにその光景が目に焼き付いているのであろう。
狂ったように叫び散らし、何かに怯えているかのように命乞いをして、その顔を恐怖の色で染め上げながら身体を奮わせる。
しかしそれは高杉や桂にとっては見慣れたものだった。
出会ったばかりの頃、恐らくはあの銀色の人格が生み出される前までは特に頻繁に、銀時はああして泣き叫んでいた。
それが銀時にとって”普通”だった。
怯える生活が。
命乞いをする生活が。
彼にとっては”日常”だった。
それが”非日常”となった後も、その傷は深過ぎるもので。
成人した後もああして度々、発作のように泣き腫らした。
そして今。
この少年達は、微塵もそんな銀時を知らなかった。
それを見せないように必死で努めたのか。
もしくは見せてしまうほど不安定に陥る必要が無かったのかは知らないが。
ただ一度見てしまったなら、それを少年達の中から消す事は出来ない。
それならいっそ、知ってしまったならいっそ。
この先銀時が立ち向かわなければならないその”戦場”に、その無垢で優しい力を貸して欲しいから。
それが例え、彼らの前でだけは平素であろうと心掛けたであろう銀時の気持ちを裏切る事になったとしても。
「あぁ、だがな。・・・俺はアイツにそれを思い出させるために此処に来てんだ」
「え・・・っ!?」
「このままじゃいつかは絶対に思い出す。それも、近いうちにな」
「どういう事です・・・!?」
「言ったハズだぜ?俺ァ。アイツは”二重人格”だとな」
「・・・っ」
確かに、高杉はそう口にしていた。
自分達の年齢よりも遥かに昔から、銀時は二重人格だったと。
新八は必死に思考を巡らせる。
あの時、あの瞬間の、高杉の言葉を思い出す。
そしてようやく、彼の中である一つの事柄が結びついた。
思考を辿るように視線を下げていた新八は、その思い至った”答え”と共にもう一度、変わらずに此方を見ている隻眼へと眼を向ける。
「・・・そうか、高杉さんでも抑えられない”奴”が銀さんの中にいるんだとして、そいつが事件を繰り返して居たとすれば・・・」
「ソイツが銀ちゃんの記憶を掘り起こそうとしてるアルか!!」
それまで口を閉ざしていた神楽が突然言葉を発した。
空色の瞳は不安気に。
しかし何処か強い意思を込めて高杉を見つめていて、ふと思わず笑みが漏れてしまった。
銀時が何よりも大切にしていたもの。
その理由がなんとなしに理解出来て、高杉の中にも僅かに温もりが広がる。
しかしそれを表に出す事は無く、浮かんだ笑みも二人に気付かれる前に押し消し変わりに言葉を発した。
「・・・あぁ。理由はどうあれ、奴が銀時をぶっ壊そうとしてる事に変わりはねぇ。だからその前にこっちから思い出させる」
「で、でもそれじゃ・・・」
「その為にてめぇらを連れていくんだよ」
高杉は、此処からが本題だといわんばかりに姿勢を正す。
つられるようにして背筋を伸ばした子供二人を見つめ、高杉は一度深く深呼吸してからその口を開いた。
「俺達だけの記憶じゃ足りねぇ。万事屋としてのアイツを・・・あの野郎の記憶から引っ張り出せるのは、おめぇらだけだ」
彼が思い出した記憶を、確実なものとする為に。
それに伴う苦痛を、できるだけ多くの掌に分散させる為に。
その為には、この二人の子供の力がどうしても必要だった。
銀時の持つ記憶の中でも、支えとなる部分の軸を占める彼らだからこそ。
「アイツがアイツ自身を取り戻す為に・・・力を貸せ」
高杉が向けたその隻眼には、子供達の迷いを吹き飛ばすほどの信念が込められていた。
二人が静かに、しかしハッキリと頷くと、ようやくホッと肩の力を抜く。
しかし直後に投げかけられた新八の問いかけが、再び身体を強張らせた。
「でも・・・それじゃあ銀さんは一体、過去に何度記憶を消したんです・・・?そうまでしなきゃいけない程の原因って・・・」
当然の問いかけ。
自分は確かに言った。
銀時の記憶の削除は、今回が初めてではないと。
およそ信じる事など困難であるはずの今の銀時の状態を、この少年達は迷わず信じた。
ならば全て包み隠さずに話す事もまた、自分にとっての役目であり立場なのであろう。
そして、何よりも。
記憶と向き合うのは、銀時だけではない。
土方も・・・。
そして自分も、向き合う時なのだ。
「少なくとも俺が知る中で、アイツが大きく記憶の改ざんをしたのは過去に二度」
重い口はようやく開く。
それはまるで噛み締めるかのように吐き出された。
新八は無意識に唾を飲み下す。
「その内、一度はお前等も知る今回の件。・・・もう一つは」
もう一度、高杉は眼を閉じる。
まるでその瞼の裏に映る、今も忘れえぬ光景から眼を離さぬように。
そして。
「もう一つは終戦間際。・・・その原因を作ったのは・・・
・・・・・・・この、俺だ」