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貴方の音色

 

 

 

 

 

 

俺が真っ先に思い描く音色といえば、まずヴァイオリンの旋律。
小さい頃から耳にしてきたこの音色は、自分自身にとっても掛け替えの無いものだ。

だがヴァイオリンでは無いにしても。
誰にとっても音色といえば、何かしらの楽器だったり音楽だったり。
一般的に『楽器』や『歌』と呼ばれる、人が生み出し奏でる音を思い描くだろう。

自分もそうであったし、周りもそうだった。
だからそれが普通で、それ以外の発想など無かった。

今日、今この瞬間までは。


「・・・良か音色ばい」


不意に発せられた言葉。
一体何の事だと隣を見れば、木陰でのびのびと寝転ぶ恋人の姿。
その眼は気持ちよさげに閉じられていて、もう少し頑張れば自然と一体化出来るのではないかと言うほど風景に溶け込んでいる。

しかし、何の事であろうか。

考えて耳を澄ませてみるが、どう頑張っても旋律等は聞こえない。
通りすがりの口笛でも聞いたのだろうか。
しかし自分の記憶にはそんなものは存在しない。

考えても答えが導き出せなかった俺は、諦めて問いかける事にした。


「音色って・・・なんの事です?」


もし何かを聞いているのなら、それを邪魔したくは無い。
だからそっと、邪魔にならない程度の声量で。
しかし特に気にしていないのか、閉じられていた目はパチリと開かれてこちらを見てくる。
その顔はとても優しく、穏やかで。


「こん音色ばい」


その顔に見とれつつも、その答えは依然として不可解なままで。
多少戸惑いながら、気になるものは気になる為聞いてみる。


「何か・・・聞こえます?」


確かに彼は、視力が弱い分人一倍耳が良い。
が、しかし今回は流石にそれでは説明がつかない。


「聞こえとると。・・・ずーっと、歌っとるばい」


歌っている??
ますます分からない。
そんなものは聞こえない。
一体何が聞こえているのか。

思い悩む内心が顔に出ていたのか、千歳さんはふと困ったように笑った。


「・・・おかしかね。気にせんでよかよ」


この人の心理は、常に自分とは違うところを巡っている。
それゆえに感慨深く、興味が湧き、心を捉えて離さない。

おかしいだなんて思わない。

ただその耳が何を捉えているのか。

何を聞いて喜んでいるのか。

それを共有したいだけなのだ。


「おかしくなんかありません。・・・教えてもらえませんか?」


問いかけると、千歳さんは一瞬目を見開き、直ぐに嬉しそうに笑った。


「・・・俺は、こん自然の音色が一番好いとうよ」

「自然の?」

「鳥ん囀りとか、葉っぱの擦れ合う音とか、風が吹き抜ける音とか」


言われて気付く、辺り一面を埋め尽くす音たち。
俺は驚いて寝転ぶ彼に釘付けになった。


「色んな音が重なって、自然が合奏ばしとうごたる」

「合奏・・・」

「気まぐれやけん、いっちょん同じ曲ばやらんと。ばってん、そこがよかね」

「・・・」

「やけん、それが音色ばい」


考えてもみなかった。
そもそも、自然の音など聞こうともした事が無かった。
いつも楽しそうに散歩していた貴方はきっと、いつもこの音色を聞いていたのだろう。
機械も楽器も何もいらない。
自然が奏でる、その日限りの旋律を。

自分が驚いて押し黙っていたのがいけなかったのか。
千歳さんは再び困ったように此方を見上げて笑った。


「・・・俺はよく変わり者ち言われると。おかしなこつ言って悪かね」


そんな事は無い。
むしろ、その逆であるというのに。

俺は一瞬焦ったが、ふと思い千歳さんの隣に寝転んだ。
驚いている気配を隣から感じるが、それを見ること無く眼を閉じて自然の音を聞く。


確かに、これはとても心が安らぐ音色だった。
今まで聞いてきた、どんな旋律よりも優しく、美しく、癒される。

それは、貴方が聞いていたものだからなのかもしれないけれど。


「・・・良い、音色です」

「長太郎・・・」

「自然の旋律は、初めて聞きました。少し耳を済ませるだけで、こんなにも音が満ち溢れているんですね」

「・・・そやね」

「貴方はいつだって、俺が知らない世界を教えてくれる」

「・・・そぎゃん大したこつじゃなかろ?」

「その大した事じゃないこの音色が、貴方は好きなんでしょう?」

「・・・ん」

「それだけで、俺にはこの上ない程のものですよ」


ゆっくり眼を開けて、隣に寝転ぶその顔を見つめて言えば、彼は照れくさそうに笑っていて。
心に満ち溢れていくこの温もりは、きっと何物にも代え難い愛情。


「貴方の聞く音色なら、俺も聞いていたいんです」

「・・・ほんなこつ、長太郎も変わりもんたい」

「なら、似たもの同士ですね」

「それは・・・俺は嬉しかばってん・・・よかと?」

「勿論」

「・・・やっぱり、変わりもんたい」


ニコリと微笑む貴方の微笑みは、この自然が奏でる旋律に華を添えて。
まるで本当は妖精なのではないかと、そんな途方も無い事を考えてしまう程。


「・・・今度は、長太郎の好いとぉ音色ば聞きたかね」

「それだと、また此処に来る事になりますね」

「・・・長太郎、影響され過ぎばい」

「貴方だからですよ」


三度繰り出された困り顔は、されど今までとは違い嬉しそうな感情が滲み出ていて。
それだけで心が満たされる。
しかし、貴方も俺を知ろうとしてくれている事はとても嬉しくて。


「今度、俺のヴァイオリンで良ければ・・・聞きますか?」

「長太郎の音色ば聞かせてくれると?たいぎゃ嬉しか!」

「そんなに喜んでもらえるなら、ちょっと練習でもしておきましょうか」


そう微笑むと、彼は一瞬何か考えるようにしてから起き上がり、俺にも起きるように促してきた。
要望どおり身体を起こしどうしたのかと首を傾げた瞬間、胸元にふわふわの髪の毛が当たる。


「・・・千歳さんっ?」

「・・・コレも、長太郎の音色ばい」


そう言って、もたれかかるように胸に耳を当てる千歳さん。
その温もりは優しくて、自然と鼓動が早まる。


「長太郎のは、なかなか忙しかね」

「・・・誰のせいだと思ってるんですか?」

「さて、見当もつかんばい」


きっとその顔はいたずらっぽく笑っているのだろう。
ほんの少し悔しくて、その身体を出来るだけ優しく、包み込むように抱き締めた。
ふわふわの髪の毛に包まれた耳に唇を寄せて囁くのは、これ以上無いほどの気持ちを込めた愛の言葉と未だ呼び慣れない名。


「・・・大好きですよ、千里」

「・・・っ・・・長太郎」


見える耳はみるみるうちに赤く染まり、触れ合った肌から伝わる鼓動は早鐘を打っている。
それだけで、嬉しくて嬉しくて堪らない。


「千歳さんの音色も、とても忙しそうですよ?」

「・・・っ誰のせいだと思っとると・・・っ」

「さて、見当もつきませんね」


そう言って頭を撫でれば、今度は胸に沈み込むようにして抱きついてくる。
あぁ。
本当に、愛しくて愛しくて堪らない。



俺の知らない世界を教えてくれる貴方。

俺の知らない感情を教えてくれる貴方。



貴方が好む音色なら、何時間だって聞いていられる。


貴方の聞く音色を聞きたい。

貴方の見る世界を見たい。

そうしてずっと、共に歩いていきたい。



僕の世界はこうして、これからも広がっていく。

さぁ、明日はどんな音色を共有しようか。











 

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