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君の苦手なもの

 

 


 「・・・ぬーそーが?」


一ヶ月ぶりに来訪してきた恋人。
彼を自分の部屋に招き、凛が二人分のお茶を持って戻った直後に放った一言。

何をしているのか。

考えても分からず問いかけたが、答えは返ってこなかった。
というのも、割と整理整頓がなされている自分の部屋の隅に、通常よりも比較的大きな身体が蹲っているのだ。
よく見れば震えているようにも見える。

いよいよ心配になってきた凛は、テーブルの上にコップを置いて恋人に近付き背中を優しく撫でた。


「千里、どうかしちゃんみ?」


覗き込んだ顔は泣きそうになっていて、ぎょっとした瞬間にはその大きな腕に抱き付かれていた。


「・・・っ」

「千里・・っ!?」


普段のんびりとしていて、大抵のことには動じないこの男が。
いつもは恥ずかしがって自分から手も繋いで来ないこの男が。
一体何があったのかと戸惑いながら聞くも、とうの千歳はただ黙って首を振るだけ。


「黙ってても・・・ぬーも分からんやし」

「・・・凛」

「ぬーがまぶやぁ事でもあったのかよ?」


何か怖い事があったのなら、言ってくれれば力になれるかもしれない。
落ち着かせるように頭を撫でて問いかけると、千歳はようやくその硬い口を開いた。


「・・・凛」

「ん?」

「・・・笑わんと、聞いてくれると?」

「当たり前やし」



眼を見て頷いてやれば、千歳はホッと息をついてから凛の服を握る手に力を込める。


「・・・クモが・・・おったと」

「・・・クモ?」


訝しげに眉根を寄せると、千歳は眼をぎゅっとつぶり震える手で指差した。
その先には床を縦横無尽に歩き回る、通常よりも少しだけサイズの大きなクモ。


「ありが、まぶやぁみ?」

「怖か!!あぎゃんふとかクモ見た事なかよ!!」


今にも泣きそうな顔で食いつくように言われれば、凛もそれ以上何も言えなくなる。
もう一度そのクモを視界に入れるも、凛からしてみれば驚く程でも無いサイズだ。
それとも、本土の人が見れば、あれも大きい部類に入るのだろうか。

・・・少なくとも千歳の眼にはそう映っているようではあるが。


「・・・千里」

「?・・・なんね」

「やー、じゅんに変な奴やし」

「普通ばい!あぎゃんもん、誰だって怖かろっ?」

「わんは違うさー」

「怖くなかと!?・・・凛、カッコ良か!!」


意味が分からないが、そう言って再び抱き付かれれば悪い気はしない。
しかし、こんな小さな生き物が怖いのか。
むしろクモの方が恐れおののきそうな図体をしているというのに。


「とりあえず、あぬひゃー外に逃がしてくる。やーはそこでじっとしとれ」

「・・・ん」


言われたとおり隅で固まっている千歳を見て一息付くと、凛はひょいっとクモをつまみ上げ窓の外へと逃がした。
念のため窓を閉めてパンパンと手を払うと、ようやく千歳が力を抜くのが見えた。


「これでいーだろ。こっちに来いってば」

「・・・うん」


隅で蹲っていた千歳は凛の隣まで行くと、控えめに袖を握ってくる。


「服が伸びるさー。掴むならここ掴んどればいいやし」


グイっと手を引いて千歳の腕を首の後ろに回させると、必然的にゼロ距離になる顔。
軽く触れるだけのキスをしてから顔を見ると、それは噴火しそうな程真っ赤に染まっていた。


「は・・・恥ずかしか・・・っ」

「さっきは自分から抱きついてきたさー」

「あ、アレは緊急事態だったけ・・・」

「わんは嬉しかったけどよ」

「・・・ズルかよ、凛・・・」


二の句も次げなくなった千歳は、不満げな顔をしつつも凛の首に回した腕を解く事は無く。
しばらくくっついていると、不意に凛が思い出したように質問を発した。


「千里はクモのぬーが嫌いなんばーよ」

「嫌いな訳じゃなか!!・・・ただ、あぎゃん形とか・・・動き方とか・・・とにかく、苦手ばい」


思い出したらまた怖くなったのか、ぎゅっとすがるように抱きついてくる姿はなんとも愛らしく、凛は抱き締めて背中をポンポンと叩いた。


「心配せんでもいいやし。わんがついてるさー」

「・・・うん。・・・凛、好いとぉ」


コクリと頷いてから、小さく呟かれた言葉。
凛は軽く眼を見開くも、直ぐに嬉しそうに微笑む。


「わんも・・・しちゅん」


たかだか一匹のクモが招いた騒動。
しかしそのクモ一匹のおかげで、普段あまり見られないものを沢山眼にする事が出来た。



涙目な顔。

怯える姿。

甘える仕草。


君が怖がるなら、その全てを取り払ってあげる。
でも、もしまた君の天敵が表れたら。



・・・その時は、退治する前にほんの少しだけ。



怖がるお前を、からかってやろうか。




 

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