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視線が絡む幸せを

 

 

 

 

 

 

 

この合宿に来て、俺はある一人の人から目が離せなくなった。

いつもニコニコ笑ってて。

でもテニスはめちゃくちゃ上手くて。

ふらふらしてると思ったら、時々物凄く痛いところをついてくる。

不思議な人。

読めない人。

心の底を掴ませない人。


気になって気になって仕方が無くて、いつも目で追って。

そうして気が付いた。

あの人の周りにはいつも人がいる。

四天宝寺の面々だ。

同じ学校だから当然かもしれないけど、それでも異常なくらいずっと傍にいる。

もしかして、ライバル?

なんて思ったりもしたけど、本当の理由は違うと直ぐに分かった。


風の噂で聞いた。

あの人の右目は、もう殆ど見えていないらしい。

俺だってまだ勝てるか分からないくらいのテニスの腕前なのに。

だから最初はそんな噂信じられなかったし、信じたくなかった。

片目でどうにかなるスポーツなんかじゃないってのを、俺は身にしみてよく知っていたから。

それでもあの人はそれを体現してる。

その全てはきっと、あの人が今まで尽くしてきた努力と時間、そして天性のセンスでもって今があるんだろう。

でも試合の時に神経をすり減らし過ぎて、日常生活では何かと不便らしく、いつも四天の誰かがあの人の右側を護るようにして立ってる。


俺もあそこに立ちたい。

あの人と一緒に、あの人と同じものを見て、俺を支えて欲しいし、俺も支えたいって思うようになった。

そう、思い始めていた矢先。

突然だった。

・・・あの人が練習中、突然前触れも無く、俺の目の前で崩れ落ちたのは。



「千歳さん!!??」


その日はたまたま二人ペアで各々ラリー練習をする日で。
いつもとは違うペアを作れとの指示があったためか、千歳さんのほうから近くに居た俺に声をかけてくれた。
俺もこの上なく喜んで、誰も使っていなかった10番コートで軽いラリーを始めた直後、突然ネットの向こうで千歳さんが座り込んだのだ。
何事かと思いネットを飛び越えて声をかけると、千歳さんはうずくまったまま震えているように見えた。


「・・・千歳さん?」


今度は慎重に、声を抑えてもう一度名を呼ぶ。
呼んでから覗き込むように自分もその場に膝を落とした瞬間。


「ッ!?」


凄まじい勢いで腕を掴まれた。
しかし、右手はまだ顔を覆ったままで俯いている。
俺の腕を痛いほど掴んでいる千歳さんの左手は震えていて、もう何がなんだか分からなかった。


「ど・・・どうしたんスか・・・?」


震えている左手に自分の手を添えて問うと、ようやく擦れた声が返ってきた。


「・・・と」

「え?」

「・・・っ・・目が・・・見えん・・・!!」

「!!??」


驚いて蹲っている顔を覗き込むと、顔を覆っていた指の隙間から僅かに見開かれたその瞳が見えた。
俺は添えていた手を離して千歳さんの肩を掴む。


「っ千歳さん、顔あげて!俺の声する方見てください!!」

「む、無理ばい・・なんも・・・っ」

「いいから!!!」

「・・・っ」


俺の声に呼応するように千歳さんが肩を震わせると、ゆっくりと顔をあげて、顔を覆っていた右手を下ろして此方を見た。

いや、正確には、振り向いた、と言ったほうがいいのかもしれない。

此方を見てはくれたが、その視線は宙を彷徨っていて。
右目だけでなく、左目まで完全に俺を見失っているようだった。


「千歳さん!!」

「切原く・・・どこにおっと・・・っ」

「千歳さん、俺、ちゃんとここにいるっス・・・!」

「見え・・・っ・・切原くん・・・!!」


一向に俺を捕らえずに彷徨う目から、次第に大粒の涙が溢れ出て来ていた。
ぼろぼろと流れ落ちる水分を見ているのがしんどくて。
それでも俺は目を離さずに、千歳さんの額に自分の額を押し付けた。


「千歳さん、ほら、俺ちゃんと目の前に居るッス・・・アンタの目の前に」

「切原くん・・・ッ」

「もしかしたら一時的なもんかもしれないっすから・・・とりあえず落ち着いて」

「ばってん・・・」

「いいから、このままじゃアンタ過呼吸になっちまう。だから、落ち着いて下さいよ」


落ち着け、だなんて。
正直無理だろうなって分かってた。
もし自分が突然視界を完全に失ったら、絶対錯乱してるだろうから。
それでも気休めだっていいから落ち着かせないと。
じゃなきゃ本当に過呼吸になっちまうから。
でも千歳さんは俺の言葉を聞き入れて、必死に呼吸を整えようとしているみたいだった。
普段あんなにも冷静で、ふわりと笑う人が。
こんなにも、泣きながら、必死に。


「千歳さん・・・大丈夫ッス、俺、絶対傍から離れませんから、大丈夫・・・」


つけていた額を離して、千歳さんの体を抱きしめる。
自分より大きな体でも、うずくまっている今のこの人は簡単に包むように抱きこめた。
そのまま背中をポンポンとあやすように叩く。
昔俺が母さんにやってもらったみたいに、出来るだけ優しく。
千歳さんは俺の背中に腕を回して、しがみついていたけれど。

少しずつ少しずつ震えが収まって、泣きじゃくる肩も静かになってきたところで、小さな擦れた声が聞こえた。


「すまんばい・・・こぎゃんみっともなか姿・・・」

「何言ってんスか?変な事気にしないでくださいよ」

「四天宝寺の誰にも、こぎゃんとこ見せてなかのに・・・」

「マジっすか?ならこれからは俺だけに見せてくださいよ、アンタの弱いとこ」

「ん・・・」

「ま、よく知ってる奴より、あんま知らない奴の方が良いことだってあるッスよ」

「そ・・やね・・・」


ずっと、千歳さんの背中を叩く手は止めないまま、言葉をとぎらせる事無く俺は話す。
見えなくても、俺は此処にいるって、伝えたくて。


「・・・俺ん右目が悪かのは、知っとったと?」

「まぁ、風の噂って奴で」

「そいなら、左目も、いずれ見えんくなるっち話は・・・?」

「・・・少しだけなら、聞いたことあるッス」

「そげね・・・」

「今までは・・・どうだったんすか?左目」

「さっきまでは・・・多少視力は落ちとったばってん普通に見えちょったと。色も、形も」

「それが突然?」

「・・・ん、テレビの電源落としたごた、真っ黒になったとよ」

「そっすか・・・」

「ばってん・・・さっき切原くんが言うとったごたる一時的なもんかもしれん」


そう言って、千歳さんが少し体を離す。
と同時に俺も背中から手を離して千歳さんの顔を見ると、流れていた涙は止まりかけているようで。
少し安心して次の言葉を待つと、千歳さんはゆっくりと目を閉じた。


「前に二、三回、右目がまだ半分くらい見えちょったときに、突然真っ黒になって戻ったこつがあったと」

「マジっすか!?」

「ん・・・もし戻るかもしれんなら・・・」

「俺ずっと傍にいるッス。どんだけでも待つから、ゆっくり」


そういうと、千歳さんは瞳を閉じたままほんの少しだけその口元に笑みを浮かべた。


「切原くん・・・ありがとうね」

「赤也でいいっすよ」

「ん・・・赤也」


こんな状況なのに不謹慎かもしれないけど、俺はその瞬間本当に嬉しくてたまらなかった。
ずっと俺らしくも無く、影で思ってることしか出来なかったのに。
目の前でこうして名前を呼んでもらったことが、ただただ嬉しくて。


「赤也は・・・どげんして俺の傍に居てくれっと?」

「え?」

「普通驚いて誰か呼びに行くなりすっとよ?」

「そ、そりゃ・・・」

「??」

「そりゃ・・・俺は、ずっと・・・」


どう考えたって今言うべきことではないのかもしれない。
それでも一度滑り出した俺の口はどうにも止まりそうに無かった。
常日頃から口が軽いタイプなんだ。
好きな人の前で、自分の気持ち隠し通すなんてはなから無理だったんだ。


「ずっと・・・俺は、アンタの事が気になって、目で追ってて・・・ずっと、アンタの隣に立ちたいって、傍に居たいって・・・」

「え・・・」

「だ、だからつまり!!!俺は、ずっと、あ、あぁアンタのことが、す、好きだったんだよ!!」


もう敬語を使うことも忘れて、俺はついにぶちまけた。
驚いたらしい千歳さんは閉じていた瞳を思わず開いて、視線の定まらない瞳を彷徨わせていた。
そして、ふと探るように左手をさし伸ばしてくる。
俺の頬に触れたかと思うと、ゆっくり撫でるように添えて、その顔に微笑みを浮かべた。
視線があわずともなお、綺麗で優しい微笑みを、俺に向けて。


「たいぎゃ・・たまがったばい・・・」

「たい・・・え、なんて?」

「凄く驚いた、ちこつばい」


強い九州の方言に俺が首を傾げて問うと、千歳さんは少し楽しそうに笑って意味を教えてくれた。
なんなんだこの人は。
綺麗で、優しくて、可愛くて、愛しい。
今この瞬間だけで、前から惹かれていた俺の心が完全に捕らわれていく。
もう、アンタのことしか考えられないくらい強烈に、熱く。


「ばってん俺は、まだ赤也んこつちゃんと知らんばい。・・・そん顔もまだ、ちゃんと見とらん」

「千歳さん・・・」

「千里っち呼んでよかよ?・・・赤也」

「ッ!!!」


思わず再び抱きしめる。
というか、正確には強く抱き寄せた。
だが今度は千歳さん・・・いや、千里のほうが俺をあやすように、俺の背中をぽんぽんと撫でてくれた。
落着かせるかのように、撫でてくれていたのだが。


「俺んこつ下の名前で呼ぶんは、親だけやけんね。ほんなこつレアもんばい」

「っ!!千里!」


仕草とは裏腹にその言葉は更に俺を興奮させるしかなかった。


「・・・赤也の顔、ちゃんと見たかぁ・・・」

「千里・・・直してくださいよ、意地でも」

「ん・・・そいが、ちぃとずつなんか光っぽいもんが」


驚いて今度は勢いよく体を離す。
その瞳を覗き込むように、ぐっと肩を掴みながら。


「赤也はほんなこつせわしか子やねぇ」

「そういうアンタはいつの間にそんな落ち着いてんスか」

「赤也のおかげばい」


そう即答して、千里はニコリと微笑む。
いつも見ていたふわふわとした微笑みとは少し違う、本当に嬉しいと物語ってくれているような。

これは、俺だけにみせてくれてるんだと思っても・・・いいんスかね?


「なんか、希望が持てそうばい・・もう少し・・・」


そう言いながら、千里は何度も瞬きをする。
目の調子を確かめるように何度も、何度も。
俺はそれをじっと見つめる。
静かに、ずっと。
そして、一度ぎゅっと強く目を閉じてから、しばらく間を置いてゆっくり、ゆっくりと目を開ける。
思わず俺も呼吸をとめてしまうほど、慎重に。

・・・そして。


「・・・!!」


瞼の下から覗いた視線が、噛み合った。
千里の黒色の瞳が、まっすぐに俺を捉えている。
それは左目だけではあったが、確実に。


「赤・・・也・・・」


そう言って、先ほどのように俺の頬に手を添えてくる。
だがさっきとは違ってその手に迷いは無く、まっすぐに俺の頬を捕らえて。


「千里・・左目が・・・」

「ん、見えちょる。そん、俺と似たような髪の毛も、子犬みたいにキラキラしとる瞳も、ちゃんと」

「・・・っ!!」

「良かった・・ちゃんと、見えたばい。もう一回・・・」


嬉しくて、嬉しくてたまらなかった。
俺を捉えてくれるその目が嬉しくて、俺は何度も何度もうなずいた。


「千里、あとでちゃんと医務室行かないとダメっすよ?」

「そいなら、赤也もついてきてくれんね?」

「勿論ッスよ!!ついでにこれからはずっと傍にいさせてくださいよ」

「そいはどうかねぇ」

「えぇええ!!??」

「白石達ですらいっつも誰が俺の右側にくるか喧嘩しちょるけん」

「俺負けねぇッスから!!絶対!!!!」

「あはは・・・嬉しかばってん、どげんして皆そげに俺んこつば好いてくれんかねぇ・・・」


やっぱりあいつらも、俺とおんなじ気持ちで千里の隣に居たのか。
そうじゃないかとは思ってたけどやっぱりそうだった。やっぱりライバルだった。
絶対負けねぇ!!!


「でもま・・・赤也が俺ん名前ば呼んでくれたら、真っ先に赤也ん方に飛んで行くかもしれんばいねぇ・・」


これから待ち受けるライバル達との闘争に火を燃やしていた俺は、千里がそんなつぶやきと共にとても嬉しそうな微笑みを見せてくれていた事にあろうことか気づいていなかった。

もしこれから先またその目が見えなくなってしまったとしても、その時もまた俺が傍にいるから。
必ず、絶対に、その体を離さないから。

今まで見てるだけだった俺だから、触れて視線を交わせることが出来るこの幸せを人一倍深く大切にできる自信がある。

だからアンタもこの手を離さないで。
俺から離れないで。

アンタが離れていかない限り、俺はずっとずっと、アンタの傍に居続けるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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